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fフランスへの旅

4年ぶりにフランスへ行った。
飛行機でご一緒になった人たち、旅先で出会った人たち、だいたいの人たちが4年ぶりなんですよね、と口をそろえて言う。
海外解禁、さあ行こうフランスへ、という標語ができたわけではないけれど、みんなの顔にはそう書いてある。

前回の渡仏は4年前のクリスマスだった。たったの1週間、クリスマスを一緒に、と誘われていったのだ。
今度は、4年ぶり、もう少しは長くいたい。
航空機の代金も高いし、飛行時間もロシアのせいで長くなった。
なんだかんだと、理由をつけて、3週間の日程を組んだ。
いつものとおり一人の旅である。

コロナ前とコロナ後(完全に後といえるわけではないが)、大きく変化したという。
物価も世界各国、上昇している。フランスもその例外ではない。
プラス、円安、対ユーロが特にひどい。
予算(なんてたてないが)の金額ですむだろうか、不安は健康、費用、各面で次々と出てくる。

定刻にCDG空港にランディング、バゲージクレームへ降りるエスカレーターが動かない。そんなことも、「フランスへ来た」という感を覚える。
老体にエスカレーターが動かないというのはダメージだけれど、これもフランス。

荷物は無事にラインを流れてくる。スーツケースの角にテープが張ってあるが、気にしない。
これは出発前、パッケージをしているときにじっくり見ると、壊れているのだった。
大きいスーツケースとガラガラと称する小型の車輪付きのケースをシャリオに乗せ、タクシー売り場へと行く。このルートは変化なし。
タクシー乗り場に行列はなかった。車もそれなりにある。ただこの車に、とガイドしてくれる人がいるのかいないのか、
自分の番だ、と主張する運転手のところに荷物を運ぶ、

後ろのトランクに大きいスーツケースは入れてくれるけれど、あとのシャリオは私が自分で端っこまでもっていく。
フランスは日本と違って、右側通行、運転手の座席も、私のために開けてくれているドアもサイドが違う。

この円安の中、タクシー代はいくらになるのだろう、と心配してきたが、空港から、あるいは空港へという料金はずいぶん以前に定額制になった。4年前がいくらだったか、記憶にないけれど、今回は55ユーロと出ている。
日本円にすればいくらになるか、もう面倒だから計算しない。
パリ市内であれば、55ユーロでいいのだ。

最初はスムーズに、そして途中から渋滞にひっかかる。これはいつものこと。ペリフェリックとよばれる、パリを一周する道路はどこかが渋滞だし、空港からの道はそれが常態だ。

携帯電話は電源を切ったまま、フランス仕様にはしていない。だから、ついたことを宿泊先の従姉妹に連絡することもしない。
パリはそう変わっていない。4年来ない間にきっと大変容しているのでは?私は浦島花子みたいになるのではないか?などと恐れていたが、道路沿いにある建物、見慣れたものもある。

運転手は大きな画面で、ロードマップをつけている。どのルートで何分、といった画面が目まぐるしく出てくる。
宿泊先は一方通行で、ちょっとわかりづらいけれど、今や、すべてこのガイドに任せれば最短の時間で行けるようになっている。

従姉妹の住むマンションに到着。55ユーロに5ユーロをつけて60ユーロを払う。このチップは必要だったか、金額的に相応か、いろいろ思うけれど、まずは無事にここまで来たという安堵感から気前がよい。
このタクシー、普通の乗用車をタクシー仕様にしている。なかなか高級感があった。
Uberというシステムが10年前?くらいから認可され、タクシー業界も苦難の道を歩んでいるようだが、空港ではタクシー乗り場がきちんと残っているので、Uberを使えない私も安心できる、という安心料もある。

あて、従姉の家の入り方は2重、3重になっている。
まず最初と2番目のドアは、工事の関係者がいて、無事に入れる。
2番目のドアを入る前に、呼び鈴は押したが、ちゃんとした返事は聞こえなかった。が、私よ、と言って工事の人が開けたままにしているのを幸い入る。
ところがだ、それからが問題である。
次にエレベーターに乗って、彼らの住まいのある10階を押すのだが、エレベーターが動かない。みれば、10までの数字の表示が別にある。コードを押すらしいのだが、前回来た時にはなかった。
そんな数字のことは聞いていない。
何をどうすれば10階にたどり着けるのか、もうパニックになる。
そうだ、荷物用というのか、配達人や家事の手伝いをする人たちが利用するエレベーターが使えるかも、とそちらへまわり、10階をおした。
無事、10階までたどり着いた。といっても部屋に直接入れるわけではない。
ブザーを押すと、従姉がドアを開けてくれた。ようやく、パリ到着!

(以下、次号)
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