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Canicule, 猛暑または酷暑

今、地中海沿岸地方は、猛烈な熱波に襲われている。最大はギリシャ、夏の猛暑は、地中海沿岸では火災を招く。
その着火の原因が何かは別として、油性の松など、燃えやすい木々がおおく、夏の火災は一つの風景にもなっている。
ギリシャでは、連日の猛暑で、首都アテネでも、アクロポリスが閉鎖されるなど、観光への影響も大きいという。

イタリア、南仏、スペイン、と地中海沿岸は、軒並み、35度超えの暑さに苦しんでいるという。

フランスで最初に猛暑という言葉を目にしたのは、1990年代、96年のことだっただろうか?
夏休みの真っただ中、パリ(だけではないだろうが)で暑い夏となった。
気温としては35度程度であったかもしれない、それがなぜ、問題であったのか・
それは、パリあたりは、日本でいえば北海道の室蘭の緯度に等しいときいている。
したがって、それまで、パリなら夏でも涼しい、冷房はいらない、という評判であった。
実際、空気は乾燥しているので、カラリとした暑さは、かえって気持ち良いものでもあった。
冷房を備えているのは、デパートやスーパーだけ、本当に暑けりゃ、そんなところにいけばいいよ、なんて言われていた。

ところが、予期せぬ猛暑、なぜ問題視されたか、それは孤老の死去が多発したからである。
当時、われわれの知識では、フランスは個人主義、若い家族は老いた親とは同居しない、であった。
実際、そのとき、もう夏休みになっていて、若い家族はバカンスにでかけ、パリには孤老が残っていた。そして、なすすべもなく、暑さの中で孤独死していったのだ。

フランスの暑さ対策は、個人単位でいえば、とても単純だ。朝の涼しい空気を部屋にいれ、10時くらいになると、部屋を密封して、窓には鎧戸を閉め、太陽を遮断、そしてその涼しさを夕方までキープする、というやり方が、今でもとられている。
締められた鎧戸、これは暑さを避けている人もそうなら、ヴァカンスに出かけて不在の人もいる。その区別はしにくい。
そして、当時は孤老の人を定期的に尋ねるといったことも、そう頻繁ではなかったようだ。

そして孤独に死んでいった老人が多数に及んだ。
そこで、もう一つの問題は、亡くなった老人の家族に連絡すると、休暇を終えてから帰るから、そちらで葬儀はすませておいて、という返事が多々あったという。
親を置き去りにして、若いものだけで休暇に出かける、というのも、当時の日本的感覚からいえば論外であったし、まして、死亡がわかっていてかえってこない、というのはなんという親不孝!という論評などが日本の新聞ではみえたものだった。

今年の熱波はそれ以上のものなのだろう。40度という数字ももう驚かない。
その熱波も広域であるのは、世界的気候異常の故でもあるのだろう。

フランス語でいえば、canicule、辞書でみれば、cが大文字であれば天狼星(Siriusの旧称)とあり、土用(天狼星が太陽と出没を共にする7月22日ー8月22(23)日の期間、(土用の)猛暑、真暑、盛夏、とある。
しかし、この言葉、この辞書による期間ではすまなくなっている。5月、6月から出てくる30度以上の暑さでは、このcaniculeが使われている。

それにしても、フランスでは個人宅で冷房を備えた家は少ない。
相変わらず、午前中に鎧戸を閉め、暗い中で、じっと暑さを耐え忍ぶ、そんな避暑がまかり通っているのだ。

パリに着いたとき、暑い日々だった。
従妹の家には冷房はない。しかし、高層階の部屋であったので、窓を開けたまま寝てもいいわよ、と言ってくれた。あかりを消せば、虫も大丈夫、という。
蚊はいなかった。が虫はいた。
テラスから見えるエッフェル塔、このためにも窓は閉められない。
滞在中、暑くて眠れない、ということはなかった。かえって、涼しい日があって、シーツだけのベッドでは寒かった。
仕切りのない空間だったから、暑い夜も耐えられたけれど、これから、パリでも7,8月を冷房なしで暮らせるのだろうか?
と、心配しながら帰国、帰宅したが、我が家にも冷房はない。
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