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「埴生の宿」だった「ビルマの竪琴」の歌

またやってしまった思い込み、ビルマの竪琴で歌われた歌は、「ふるさと」ではなく「埴生の宿」だった。

姉から電話があった。帰国を確認するためだ。早速、日本人墓地へ行き、水島上等兵のモデルとなった方の墓碑にお参りしたことを報告した。ガイドさんと「ふるさと」を墓碑の前で歌ったことももちろん話す。

姉が言う、「捕虜収容所でお別れにうたったのは、ふるさとじゃないわよ。埴生の宿よ」
えっー!そんな、あなたは「ふるさと」って言ったじゃない、というと、「ふるさと」って一人で言ってたのはあなたよ、とのこと。

なんてことだろう。私はてっきり「ふるさと」と思い込んでいた。外国にいるとき、「ふるさと」はなぐさめでもあり、郷愁をさそう最高の歌だった。
姉は、昨日もUチューブで、「ビルマの竪琴」捕虜収容所の場面をバックに、「埴生の宿」を歌ったのだそうだ。

そういえば、かすかに記憶があある。水島上等兵が、捕虜収容所での生活をみじめなものでないように、合唱団に作り上げるのだ。
歌詞も、埴生の宿、英語であればHome sweet homeで、歌詞の最初は、There is no place like home だったっけ。

この歌も家族でよく歌った。母や長姉がアルトのパートをうたって、なかなかいいハーモニーになっていた。

これは困ったことになった。ガイドさんに訂正をいれなければ、彼女が恥をかくことになる。

今の記憶は危ういものが多いけれど、昔の記憶は確か、と思っていたけれど、なんのことはない。記憶というより、思い込みであった。
これは一度、映画を見直す必要がありそうだ。
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