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認知度テスト

この頃、自分の認知能力について考える時間が多い。
第一の原因は、月末に免許証更新のための認知度検査を享けなければならないからだ。

前回、3年前にこんなテスト、平気の平左、と受けたのだが、頭の中がぽっかり隙間ができたり、時計で時間を表示するのに、長針と短針を間違ったり、結果、大きな減点にはならなかったけれど、自信はなくなった。

運転免許のための、認知能力テスト、なにかちっとも変化、進歩がないまま、実施されているらしいが、おかみのなさること、どうもそれを受け入れざるを得ないらしい。

自分が若いころ、といっても60代だったろうか、運転は70でやめる、と思っていたが、それが75歳になり、まあ、一応、テストにうかる時まで、などと、節度のないこと、自分でもいやになる。

認知能力、これはたとえば、数字、文学、音楽、いろんな分野によって、能力が欠ける部分、維持し続ける分野、差があるのだろう。

先日、95歳のご老女と電話で話した。
彼女は聴力がだめだ、補聴器を使っている、という話だった。
週に一回、お手紙を出している。新聞の歌壇のページをお送りしているのだ。
そのついでに手紙として、季節について書く。だいたい、庭の花だよりだ。

我が家はまだまだ花の咲く季節ではないが、ようやくフクジュソウが数輪咲いたくらいだ。それでまだまだ「春は名のみ」です、と書き添えたので、彼女は、電話の中で歌いだした。
「早春賦」である。
春は名のみの風の寒さや 谷のウグイス歌は思えど 時にあらずと声もたてず、時にあらずと声もたてず、私も途中から伴唱した。
彼女は2番も続ける。
氷解け去り葦は角ぐむ さては時ぞと思うあやにく 今日もきのうも雪の空 今日もきのうも雪の空

そこで止まった。あら、3番までお歌になれるのでは?と確か、去年、私は3番まで歌えるのよ、と自慢していらしたのが記憶にある。
今年はね、3番がどうしてもでてこないの、とおっしゃる。

私は1番しか覚えていないし、2番、3番はもともと記憶にない。
しかし、彼女が3番を思い出せないことで、彼女の加齢度を知ったのではない。
声の音域が狭くなったことだった。
彼女は高音まででることがご自慢で、この歌はけっこう高い音があって難しいのだが、きれいに歌われていた。
今回は、なんとミ、ファ、ソ、ラ、シの音域でしか声がでていない。しかし、彼女はきちんと歌っているおつもりだ。

そうか、年をとると、声まででなくなるのだ。私自身がそうである。きちんと歌える歌はもうない。
高音をさけてオクターブ下げる、あるいは低音がでなくて、音程自体を変えてしまう、と無茶苦茶に歌っているのが現実だ。

もう2年前に90歳で亡くなられた女性がいる。クリスチャンで、時々、讃美歌を歌われた。
とてもしっかり歌われるのだが、音域が狭くなっていて、そのときはなぜだろうと疑問だった。
まさか、音痴? それではなかったのだ。

時々、テレビで往年の歌手が出演し、昔の持ち歌を歌われる。それなりに発声のレッスンをしていらっしゃるのか、頑張って歌われる。が、無理がみえていて、私には聞くに堪えない。

そうなんだ、年をとるのは、体のすべての部分なのだ。個人差があっても、何等かの加齢化現象はでてくるのだ。

願わくば、免許更新のための認知度テストの能力だけは残っていますように。
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