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3月10日

今、3月10日は何の日?と聞かれて、その日がなぜ特別な日なのか、答えられる人は少ないだろう。
3月3日、朝日新聞のオピニオン&フォーラム(投書欄)に、三重県の伊藤氏が書いている。
「3月10日といっても、今ではピンとこない人が多いだろう(略)しかし、私は忘れない」
作家早乙女勝元氏の言葉であるとか。

申し訳ない。私も知らなかった。
50年来の友人は3月生まれである。彼に3月何日?と問うと、あの3月10日だよ、返事した。
あの、と言われても通じない。
彼は驚いた。知らないの?僕は1945年3月10日に生まれたんだよ、あの日だよ、という。
終戦5か月前、と思うがピンとこない。
東京大空襲の日なんだよ、知らないなんて、8月6日は知ってるだろう、それと同じくらいに重大な日なんだけど、と重ねて言われる。

ああ、そうだったの!大変な日に生まれたのね、ようこそこの年まで生き延びたんだ、と冗談にしてしまった。

そして、この投書を読んで、さあ、どれだけの人が3月10日を知っているか、数人の友人に聞いた。聞いた人たちは、戦後の生まれである。そして今は東京に住んでいるが、生まれは地方だ。
全員が知らなかった。

戦争を敗戦へと舵をきらせたのは、この帝都への大空爆が大きかった、と歴史書では書いてある。
その空爆のものすごさ、火事、逃げ惑う人たちの焼死、川に浮かぶ人々、悲劇の詳細が書籍に、映像に、文学書に、回想録に、いろいろな形での表現を通じて、多くの人が知っている。
そういわれれば、日付はともかく、私だって大空爆の事実は知っている。
沖縄の悲劇と肩を並べるような悲惨きわまる事件だった。

沖縄はまた別格の悲劇であると思っているのだが、規模として、死者、あるいは被災家屋の数からいえば、この首都への空爆とは比較にならないかもしれないが、日本のいろんなところでこの空爆はあった。
私の故郷の町も、陸軍の基地があったこと、いくつかの軍需工場もあったからか、アメリカ空軍の攻撃の対象となった。
叔母にいわせると、8月12日(正確に覚えていない)だったらしい。あと3日、米軍が待ってくれれば、家は焼かれないですんだのに、である。
自宅もすべての貸家も焼け落ちた。これが我が家の没落の原因だ、と叔母はよく口にしていた。
私はそんな日には生まれていないし、物心がついたのは、戦後もうずいぶんたってのこと。

3月10日生まれの友人Hさん、彼が関東のどこで生を享けたのかは聞いていないが、それは記念すべき、記憶に残る日だのだろう。

2022年2月24日、ウクライナにロシアが侵攻した日。この日を誕生日とするウクライナの子は何人いるのだろう。

日本ではこういう誕生日はもういりません、なんていうデモでもしませんか?と彼に提案したが、却下された。
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