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故郷は遠きにありて想うもの

先週、4年ぶりに故郷に帰った。
用事があるといえばある、帰らないでも済ませられないこともない、でも帰ろう、とその気になってしまった。
関東から九州へ、新幹線利用であれば6時間ほどか、やっぱり飛行機だ。
と、9月末に予約した。そろそろ旅行も解禁になるだろう、その前に、という気持ちで日程を選んだのだが、ちょうど、旅行割引などが始まり、しっかりその恩恵に与ることができた。

いつもはJAL,今回はANA、会社が違うからか、この4年の間に、旅行の形態が変わったのか、すでに変化はあったのに気づかなかったのか、いろいろ戸惑うことが多かった。

まず、事前にスマフォでチェックインが可能なこと、スマフォにお知らせが来たけれど、画面が小さすぎて、フォローできない。
デジタル非反応年代の私は、当日、チェックインカウンターに並ぶことを選ぶ。荷物を預けもしないのに、カウンターに並ぶ人は少ない。とうとう、時間が迫っている、というので、係員が隣に来て手続きをしてくれる。
そして、搭乗口、チケットをみると、グループナンバーが記されている。
どうも1というグループが、以前のファーストクラス、あるいはプレミアムといわれるクラスらしい。
グループ2,3と進んで、4からはどうも割引で購入した口らしく、私などは、早めに予約したのだが、グループ5だ。
この差別は、金額の差別だから、資本主義の世の中、仕方がない。

機内サービスもそっけないものだ。ちょうど昼飯タイムだが、お昼ご飯を食べる時間も、空弁なるものを買う時間もなかったが、もしかしたら、機内で軽いサンドイッチでも提供されるのではないか、と期待したが、なかった。飲み物だけ、それもそんなに種類は多くない。ジュースなどは、リンゴのみ。

まあ、それも時代の流れ、以前はなにか出ていたのに、というのはもう10年以上も前の話だ。
ただ、往の飛行機では、化粧室が使えない区間があった。幸い、グループ5だったため、トイレには待ち時間の間に済ませることができたけれど、機内で、と思っていた人にとっては、地獄の苦しみを与えたのかもしれない。

空港から実家のある町まで、弟の車で移動する。いつもは空港バスを利用するけれど、今年から、弟が完全に仕事を離れ、家族の運転手業を始めたのだ。といっても無料奉仕だが。
途中の景色、たいした変化はない。
それでも何か変わった、と思うのは、こちらの心境の変化が作用している。

なんせ、暑い。寒いところから、それも朝早く出たので、着ているものが厚手だ。
弟との会話も、4年の変化なのか、あるいは、こちらの老け具合が激しいからなのか、以前は常に姉としての立場であったものが、今や、庇護者のようだ。

みんな背が小さくなった。老いた証拠だ。
声がかすれ、勢いがない。
お元気ですか?お変わりありませんか?と問えば、いやいや、と病気の名前がいくつか出てきて、かかっている病院、治療のやり方、病気の話が途切れることがない。

それはこちらもご同様。お変わりありませんか?と問われて、いや、まあまあです、とでも答えると、元気だと解釈される。

近いと思っていた菩提寺、歩けない。弟の車で行く。夕方で人気もない。
兄夫婦が外出できないので、墓参をする人もいず、花の影も、線香の残りもない。
同行した姉、弟と、なぜかいつ建立されて、だれがお墓に入っているのか、チェックしている。

姉も私も家を出ているので、この墓にはいることはない。弟は次男だから、やはり入らない。
こうした、墓のことなども気にする帰省である。
弟は、お寺の別館にある納骨堂に自分の家庭の分は確保しているという。
どっちが先にいくかわからないのだから、そこも見て行ってほしい、という。

そういえば、この帰省は、そんな問題を弟と話し合うための目的もあった。

到着一日目は、実家の墓参、明日は母の墓に行く。そうか、今回は墓参り帰省でもあるのだ。
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