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葬儀のあり方:私はこうしたい

先日、昔働いた会社の友人から電話があった。その会社に入社できたきっかけは、小学校時代、隣に住んでいた男の子が、その会社に入っていて、同期が人事課にいたからだった。
友人はその会社のOB会で、退職者の情報交換をしていた。
ウン十年前の男の子、先日亡くなったという。幼馴染ともいえる人の死、といってももうウン十年も連絡をとっていない、配偶者との交流もない、哀悼の気持ちも自分だけで納める。
そして、その葬儀が一日葬と呼ばれる、通夜と告別式、あるいは火葬後の儀式もすべて1日で納めるスタイルだったという。

今、そういう形が一般的になっている。葬儀自体、昔のように、大がかりにはしない。
昔であれば、樒がいくつ並んでいた、とか、弔問客のための受付が机何台でた、香典袋が積み上げられて、ボストンバッグが必要だった、などと、式の盛大さを自慢する年寄もいたものだ。

今や、家族葬、身内のみで行いました、というご挨拶を事後にいただくことが多い。

私が葬儀というので思い出すのは2018年に亡くなったパリの父の葬儀である。
彼は2014年に娘と息子(いづれも養子縁組)に書き残した。
紙1枚の葬儀に関する遺言だ。
「いつも通っている教会において、葬儀のミサを行ってほしい。できるなら、オルガン奏者にバッハの曲を演奏してほしい。埋葬ではなく、火葬を希望する。遺灰は母方の家族が葬られている墓地にいれてほしい。父親はまた別の家族墓に葬られている。希望する墓地には、もう妻の遺骸の場所しかない。
葬儀に、花もなにもいらない、ただ、棺の上にレジオン・ドヌール勲章をおいてほしい。」

フランスでは葬儀の案内は、フィガロ紙に掲載する。
彼は2018年3月11日に亡くなり、3月15日の新聞にその死亡広告が掲載された。そしてミサは3月20日、彼の希望する教会で執り行われた。
死亡のお知らせには、彼の希望する、花も飾りも必要ない、その費用は慈善団体へ寄付してほしい、と書いてある。

96歳で亡くなった彼は、成功者であった。引退後もいろんな慈善活動に参加し、人の面倒をよくみて、人望もあった。
それなりの人が参加したけれど、彼のいう通り、花も飾りも持参されなかった。
カトリック信者には火葬はなじまない。
なぜ、彼は火葬を希望したの?と私に聞いてくる人もいた。
火葬が普通の日本人にしてみれば、火葬にそう抵抗感はないのだが、私にしても、古いタイプと思っていた彼が、火葬を選び、それを彼の子供たちがすんなり受け止めていたことは印象的だった。

ミサのあと、葬儀会社が経営する火葬場に移されたのだが、親族の中にも、火葬場に同行するのは嫌だ、と同行を拒否する人がいた。
子供や極近い親族、知人が火葬場に同行したが、火葬にとても時間がかかるというので、途中で退席、遺灰はあとで子供が受け取ることになった。
そして、翌日、パリ近郊にある墓地にある家族の墓に埋葬された。
そこに集まったのは、彼の娘、息子、そしてその子供たち、甥、姪、名づけ子(私もそうだが)たち、20人に満たない人が集まり、聖書の一部を読み、また甥の一人がお別れの言葉を述べた。
あっさりとしたものだった。厳かという雰囲気はない。そこにも花も飾りもなく、厳かに、というには私語は多いし、3月のまだ寒い中で、がやがやと送ったのだった。

この頃、以前のこうあるべきだ、というスタイルが全否定されてきた。
一部の人にだけかもしれない。しかし、これまでのスタイルがあまりにも儀式っぽく、お金をかけ、葬儀屋の戦術にはまりこんだようなものが多かったなかに、コロナ効果なのか、「小さなお葬式」ばかりになってきた。
国葬儀は別物だが。

私はこのパリの父のように、花も飾りもない、そんな葬儀をしたい。
参会者もいなくていい。
といって、家族葬にするのか、とはならない。家族がいないのだ。
孤独葬、とでもいうのか。せいぜい弟が間に合えばいい。

パリの父は、子供への手紙を死亡より4年前に書いているけれど、どんな気持ちで書いたのだろう、と今でも考える。花も飾りもいらない、ni fleurs ni couronnes、悲しいけれど、いい言葉だ。
これを言う人は父だけではないけれど。
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