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初めての海外旅行

近日中に海外旅行に出かける知人家族がいる。
学齢の子供も一緒だ。海外在住だった家族だが、日本に帰国して以来、その子を含めての海外行は初めて、その子にとって最初の海外旅行になるといえるだろう。

そんな話を同年代の友人と話しながら、お互いの初海外はいくつの時、どこへ行ったのか、話題がいった。
彼女は28歳のとき、配偶者とともに東欧へ行ったのが初めてだという。初海外にしてはちょっと変わった行先だが、それは学会への出席という目的からだったらしい。

さて、私といえば、年齢は25歳のときであった。8月8日、横浜港からの出発だった。
なぜ、年齢をきちんと憶えているのか、それは旅行の途中で、パリである会社でアルバイトをしたのだが、11月25日、外の道路で人々の声が聞こえてきた。何か、と見下ろせば、女性のデモが行われている。何事?とオフィスの女性に聞いてみると、25歳の独身女性たちのデモなのだという。
その日にあたる聖女はお針子で、独身だった、というので、この日はお針子ではなくても、25歳の独身女性が、華やかな帽子をかぶって、デモ行進をするのだそうだ。
あら、私も25歳、独身だわ、というと、職場の女性たちが、こぞって帽子を探し出し、いろいろなもので飾り立て、私にかぶらせた。その後、職場の全員から、ビーズ(頬っぺたへのキス)の嵐、そんなことになれない私は、半ば恐怖を感じた日であった。
そんなことで、25歳の年齢の年に、海外へ出かけた、という記憶が強く残っている。

8月8日については、8がダブることでもあるが、また別の記憶の素があるけれどもここには記さない。

この初海外旅行、JTBの団体で、往路は横浜から船で、ナホトカへ渡り、ロシア(当時はソ連)のシベリア地方を列車で移動、2日ほど列車だったろうか、ハバロフスクから飛行機でモスクワへ、モスクワ見物をして、ウィーンへ飛行機で移動し、この地で解散、各自の目的地へ行く、という旅行だった。
私はウィーンからロンドンへ、イギリスの知人の出迎えをうけ、もうどこだったか忘れたが田園地帯の小さな町へと移動したのだった。

当時、海外旅行に許されるのは1000ドルまで、1ドル360円の時代だった。日本円で持ち出しても、現地のお金に交換できるかどうかはわからない、許されたドルをトラヴェラーズチェックに替え、パスポートとともに腹巻にまいて、というような旅行だった。

日本国内で買ったユーレイルパス、これはイギリスでは使えないが、ヨーロッパの鉄道に乗車でき、一等車も利用できる、というので、旅行者には必須のアイテムだった。
どんなコースでどう旅行したのやら、もう詳しくは覚えていないのだが、ドイツ(西ドイツ)、オーストリア、スイス、イタリア、スペイン、など旅行し、フランスのパリに戻ってきたのは9月後半だったろうか、秋が始まったころだった。
当時は何の木やら名前も知らなかったが、並木の紅葉が秋の太陽に輝き、感激した。ヴェルサイユ宮殿の庭にも、自分の身を埋めたいと思うほどだった。

滞在許可証がなくても3か月以内は滞在できる。できる限り滞在しよう、それには、手持ちのお金はもう底をつきかけているから、なにか仕事をさがして、と探し出したのが日本企業の支店で、フランス語が話せるわけでもなく、タイプもテレックスも打てないけれど、日本語は話せるから、と雇ってくれた。
週5日、9時―5時の労働時間だったろうか、その帰りは、アリアンス・フランセーズのフランス語講座をとり、そしてオデオンにあるホテル(星などないホテルだった)に戻る、という生活を12月までしたのだった。

もっと滞在したかったけれど、勤務先は、きちんと滞在許可証のいらない範囲で、ということだったし、一度、日本に帰って、語学研修もし、仕事のスキルを身に着けて、という自覚もあったので、帰国を決めた。
それでも、オープンで購入したチケットを利用して、まずイギリスにわたり、往路のグループ仲間とクリスマス、新年を共にし、スイス、イタリアを再訪。イタリアでは、ミラノで先に見損なっていた「最後の晩餐」をみて安心、ギリシャに飛んで、冬の寂しいアテネの町や、エーゲ海をみた。パルテノン神殿では、イタリア人カップルの女性が、長いマントをひるがせて立っているのをみて、まるで映画みたい、と感激した。このことを帰国後、母に話したところ、手先の器用な母が、表地は黒、裏地を深い赤で、足元まであるマントを作ってくれた。それでもう一度、パルテノンに行こうと思っていたが、それはかなわなかった。

ギリシャまでくれば、帰りのフライトはどうしても南回りである。ついでに、というので、タイのバンコクにより、香港により、で結局、帰国したのは2月になってからだった。

今、考えてみて、いくら物価が安かったかといっても、1000ドルで6か月の旅行というのは考えられない。
しかし、I have doneである。
情報を仕入れ、安全で、リスクの少ない場所を選び、堅実に、正直に、を心掛けたが、旅先での人々の親切というのはありがたかった。

自分の能力のなさを自覚して、帰国後は、働きながら(週4日でいい、という職場を選んだ)、フランス語の学校へ行き、またタイプを習い、という日をどれだけ過ごしたのだろう。
外国の機関で働く場所を得て、またその仕事が天職といってもいいほどあっていて、のめりこんで仕事をした。

友人と話していて、これまでの旅行のうち、母親が希望した同伴旅行、それに友人と何度か旅行をしたことはあるが、ほとんどは一人旅であった、というと、信じられない!という。
この6月にした、きっと最後の旅行になるだろう、という旅も、一人旅であった。

若い人たちにいいたい。これは高齢になると、つい言いたくなるのだが、若いころはソロで動きなさい、と。
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