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トイレの話

前回、LGBTに関して、トイレを話題にいれたが、今日はトイレそのものがテーマである。
外国に限らず、自宅を離れる時、トイレ環境はとても気になる。
何時間もトイレを我慢できた若い時代はともかく、現在ではいった先からトイレ、トイレと気にしている。
飛行機の中でも、離陸して、ベルトサインが消えるとすぐ、席をたっていた。飛行機に乗る直前にトイレをすませていてもだ。

フランスは先進国ではあるが、トイレが完備しているとは言えない。こちらの人は、トイレにあまり行かないのか、外出した先でのトイレの設備が少ないのだ。
そして、シャワーがついていないのは当然としても、とても清潔とは言えないのが普通である。

出かけるたびに、今日の行動予定のなかで、どこでトイレをすませるか、これは常に頭にあった。
たとえ、トイレがあっても、その設備が使えるのかどうか、常にその心配がよぎる。

たとえば、こちらのトイレには便座がついてないものがある。便座なし、陶器のトイレそのものが不潔でなければ、それで結構なのだが、冷たい陶器にお尻をおろす、というのはなかなかだ。
もちろん、便座がついていても、まずはペーパーで拭くのだが、陶器とプラスティックの差、どっちがいいとは言えないけれど、便座なしは、やっぱり手抜きというか、設備そのもののが足りないような気になる。

利用者の多い、ナショナルの道路沿いにあるサービスエリア、ガソリンスタンド、など、男女の別があるだけいいけれど、便座なしということが多い。
トイレットペーパーの質の悪さも問題だ。大きな丸いべーパー容器から引っ張り出すのだが、なかなかでてこないときもある。
その昔は、こういうペーパー容器ではなく、重なり合った紙の容器であった。
紙の質もあまりよくない。

その昔、母を海外旅行につれていくとき、母はスーツケースの半分にトイレットペーパーを持参していた。特に開発途上の国ではそうで、こっちの紙は拭けないからね、などと言っていたし、また、持参のペーパーが役にたつこともあった。

こんな状態で、来年のオリンピックは大丈夫だろうか、などと、パリの市内でも、あまりよくないトイレを使いながら考えてしまう。
まずは数が問題だ。
これでは絶対、たりそうにない、とトイレ学の研究者として、まずは質よりも量の観点でマイナス点をつける。

もちろん、オリンピックのときは、特設のトイレも設けられるだろう。

トイレの水洗設備も時に問題だ。うまく流れないときなど、あとに来る人にどう思われるか、気になるが、どうしようもないときがある。
カンヌからマルセイユへと移動につかった列車のトイレがそうだった。
水洗が使えない。
前使用者が、そそくさと立ち去った理由がわかった。流せないのだ。
私もそうせざるを得なかった。
洗面台の水もでない。
幸い、ハンドバッグに濡れティッシュを用意していた。

マルセイユでは、新しいショッピングセンターのトイレは便座がないスタイルだった。
こんなに新しい、お金をかけたショッピングセンターですら、とショックを受けた。

フランス滞在中、外出先でも、宿泊先でも、トイレにはいり用をすませると、つい右側にシャワーの設備を探す。
その癖はとうとう、帰国まで治らなかったけれど、JAL便では、トイレにシャワーがついている。
東京―パリ便では当然として使ったけれど、帰国時のパリからは、その設備がついていることをわすれていた。

そういえば、たしか、カンヌの映画祭が行われるあの丸い建物のトイレには、シャワーがついていたような思いでがある。そして、便座は回転式ペーパーがカバーしていたような。
さすが、と思った記憶があるのだが、どうだろう?

いつもドキドキ、はらはら、トイレについては不安ばかりもって旅行にでるのだが、どうにかセーフで帰宅することができた。
ものをがちゃがっちゃおいて、すっきりしたトイレとは言えないけれど、自宅のトイレにしくものはなし、だと実感する。

フランス人のだれもが、日本のトイレをほめたたえている、本当に日本のそういう施設の清潔さ、その意識の高さ、やっぱり捨てがたい。
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