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トルコの思い出、エルドアン大統領再選によせて

トルコの大統領選挙、決戦投票になったものの、結局はエルドアン大統領の選出に終わった。
何期目になるのだろう。プレスによると2002年、総選挙で大勝、翌年首相に就任、18年に議院内閣制から大統領に権力を集中させた初の「実権型大統領」に当選した、とある。

私が初めてで、いまのところ最後のトルコ旅行をしたのは、エルドアン氏が首相に就任したころだった。
そんなはずはない。もっと以前の話だと思う。
母をつれての旅行だった。
東京でのフランス人の友人が、トルコ、アンカラに転勤になった。
そんな知人を訪ねて、いろんなところに行くというのが、当時の私の旅行スタイルだった。
単身での旅行、のはずが、当時はかならず母が同行した。

グループ旅行ではなく、行く先々で、ホテルも決めるという、行き当たりばったりの旅行、土地のひとたちと接する機会もとても多かった。

イスタンブールで感じたのは、親日家が多い、ということだった。もちろん、その裏側に、じゅうたんやさんに案内される、とか、お土産屋さんとつるんでいる、というバックもあったけれど、日本語を、それもとてもきちんとした日本語を話す人が少なからずいたのだ。
のせられて、母がじゅうたんを買ったりしたけれど、その価格が適正かどうかはわからないが、きちんと船便(航空便は高い)で母の自宅に届いたのだった。

なぜ親日家が多いか、その理由を、ガイドブックなどでは、日本がロシアに勝って、ロシアに痛めつけられていたトルコのうっぷんを晴らした、とか、紀州沖で難船したトルコ船の救助にあたった、というような事実が書かれていた。

たったそれだけで親日家になるかよ、と思ったりしたが、現地では本当にみなさん、優しかった。
年寄の母と、現地の交通機関を利用して、勝手に動いていた私、言葉も通じない田舎でも困った、という記憶がない。

そして、その親日の証は、外国で暮らすようになったとき、南仏でも、アフリカの地でも、特別な友情をうけたのだ。

それらはともかく、トルコに旅行したとき、エルドアンの評価が最高値の時だったようにおもう。
トルコといえば、オスマン帝国の印象がつよく、旧弊で、中世のおもかげが生活にもたっぷり残っている印象だった。
そこを、エルドアン氏は大きく変えつつあったのだ。

無知といえばそうだったが、現地にいって、初めて、トルコがNATOの一員であること、を知った。そしてNATOは、日本語で呼ぶナトーではなく、ネイトーであること、ボスボラス橋がアジアとヨーロッパの境界であること、地理と歴史の勉強を一挙に学ぶところであった。

長期政権はよくない。
それからたびたびエルドアン氏のことはメディアで見るけれど、腐敗というのか、根元が腐っていく様子がみえて、特にクルド人との問題、臭いものに蓋、的政治手法、強権的すぎた。

もちろん、トルコの立ち位置からすれば、彼の手法はそれなりに理屈にあったものかもしれない。

これから5年、また重いトルコになってしまった。

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