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終わりよければすべてよし

これは今年米寿を迎えた姉が、しきりに口にする言葉である。
戦前派の姉は、戦争中の体験、戦後の混乱、日本経済の伸張期、一通りを経験し、今、人生の終わりに近づいている、と言いたいところだが、彼女はまだまだ終末期でない、という。120歳まで生きるのだそうだ。

健康面で年齢相応の不具合もでてきているようだが、本人いわく、頭はしっかりしている、という。
そして、その記憶力をためすように、昔の写真をとりだして、そこに映っている人物、背景、当時の時代相、そして写ってはいないけれど、生活を共にしていた家族などの情報、そういったものを集約していこうと、日々思い出にひたっているのだそうだ。

しかし、そんな昔のことを、同居している子供、孫たちは、興味を示してくれない。
おばあちゃんの思い出話を聞いてくれることもない。
それで、その語り、あるいは問いの相手として妹の私が選ばれた。

姉と私は、母が違う。それだけ、年齢も違う。したがって、姉の話にほとんど付き合えないのだが、それでもいくらかの共通する思い出はある。そのほんの少しを分かち合いたいという。

たとえば家族の思い出だ。
父と母、ここで母が違うというのは、たとえ、彼女の母親が、彼女がほんの幼児の時に亡くなって、彼女自体の思い出も少ないとはいえ、もう私とは食い違う。
同居していた祖母、大伯母、伯母、叔母、父、のち添えとしてきた母(私にとって)、出入りしていた昔の番頭さん、伯母がのちに後妻として嫁いでいった家の人々、叔母の嫁ぎ先の人々、昔は大家族が多かったので、その人間関係は限りがない。

父の先妻さんには長男と長女(この姉のこと)がいて、次男の産褥で亡くなられたというけれど、姉と話す場合、お母さんと単純に言えない場合がある。産みの母か、育ての母か、と分類もできない。というのは、姉は、生母なきあと、祖母や叔母たちの手で育てられたようなのだ。

そんな複雑な家庭環境の思い出整理をしていこう、という姉の希望、私自身も昔の記憶のあいまいなところを補える、と話しにのった。

姉は言う、88歳になって思い返したとき、今の幸せにつながる人生、ほんとうにいい人生だったと思う、と。
不幸の断片をさがすのではなく、幸せに結びつくことをさがす作業なら、お手伝いいたします、と来週に会うことになる。
どんなファミリーヒストリーがでてくるのか、とても楽しみだ。
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