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年齢を重ねて感じること:週刊誌

毎週木曜日、新聞を読むのが楽しみだ。特別、木曜特集というのがあるわけではない。
お察しの通り、週刊新潮と週刊文春の発売日で、この日の朝刊(この地では朝刊しかないが)に広告が載っている。
この広告が結構記事の内容をほのめかすタイトルで満たされていて、半分ほど、記事を読んだ気分にさせる。
時には読んでみたい、という気分にさせるが、もう一度、片道6キロをコンビニまで行く気までにはならない。

この週刊誌の広告というのは、曜日を知るいい方法なのだ。
以前は、月曜日に週刊現代と週刊ポスト、火曜日が週刊朝日とサンデー毎日、水曜日はなくて、木曜日が上記の新潮と文春、金曜日はフライデー、と記憶していた。

ところが、この頃(ずいぶん以前からになるが)、月曜売りの現代とポストの広告が金曜日に載っている。
昨日木曜日にフライデーの広告があって、木曜日なのか金曜日なのか、わからなくなった。

そういえば、昔、我が家ではサンデー毎日を購読していた。これが火曜日に届く。
親に聞いたわけではないが、私は勝手にサンデーとは火曜日と信じ込んでいた。
中学校に入学して英語を学び始める。なにかの試験のときSundayは何曜日か?という質問がテストの中にあった。
私はもう得意げに火曜日と書いた。間違いで、バツ印がついていた。
納得できない。職員室に文句を言いにいった。先生は、サンデーは日曜日だよ、と教えてくれたが、納得できない。
頑固に言い張った。なぜ、私が言い張るのか、先生は我が家に電話をなさった。
親も当初はなぜ私が言い張るのか、わけがわからなかったようだ。そこで、私が泣きながら、サンデー毎日は火曜日に届く、といったことで親は理解した。

先生も理解してくれたけれど、私は私の常識が覆された思いで、我が家に戻ってもなきに泣いた思い出が今でも残っている。

当時はそんなに週刊誌がなかったし、現代やポストなどはいつ頃から登場したのだろう。
たしか、サラリーマンという職業で呼ばれる階級ができたころだったろう。

田舎に住んでいると、週刊誌の記事も広告も別世界のような気になる。

先日、テレビで「跳んで、埼玉」という映画を見たが、埼玉と東京の間に関所があって、そこを超えるには手形が必要、という映画である。
こちらは埼玉より、もう一つ奥にある群馬である。
そういった文化や生活の面での差は、週刊誌の広告は、こうして新聞でもみないとわからない、電車のつり広告というわけにはいかないのだ。
しかし、そのつり広告というのも廃止になったとか。

だんだん、曜日も混乱し、週刊誌自体が発行されなくなる時代も来るかもしれない。
週刊誌1冊が500円近い値段だ。これは単行本、せめて文庫本の価格ではないか!と思おうと、文庫本はもう1000円の手前らしい。

週刊誌を読むのは、医院の待合室、と決めていたけれど、コロナ以後、待合室に週刊誌はなくなった。
買うよりほかはないのだが、週刊誌を買うというのは、1週間で旬をなくすのに、という意識が邪魔をする。
女性誌は全く買うということがないけれど、皇室ネタなどは女性誌が強い。
表紙だけでも見ようと思っても、週刊誌は割とコンビニでも奥のほうにおいてある。新聞をとって、週刊誌まで足を延ばさない。

週刊誌情報というものが、情報源にはいらない、というのも、都会度をはかる基準になるのかも。
山本知事にそのこともお伝えするべきか。(彼は別に群馬県を都会化しようというのではなく、人気をあげようというだけだけど)
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