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最初のパソコン

今回入手したパソコンが最後になるかどうか、それは確言できないけれど、最初のパソコンははっきりしえいる。

もう何年前になるのやら、まだパソコンは今ほどに普及しておらず、値段も高かった。機能自体もまだあまりなかったように思う。
友人の一人が、パソコンを買い替えたいのだが、今までのパソコンも十分使えるものだし、下取りしないか?と言ってきた。

当時、私の職場では、ワープロは支給されていたが、そろそろパソコンに変えようという機運はあったものの、やはり一人一台というには高価すぎて、先に進んでいなかった。
ワープロもちゃんと使いこなしていない私としては、時流に乗り遅れるのもこわいし、レッスン付きという彼の勧誘に乗って、personal computer、フランス語ではordinateurと言っていたが、を入手したのだった。メーカーは東芝だったような記憶がある。

機械に弱い私のこと、教えてもらっても使いこなせなくて、かろうじて、ワープロ、つまりは書類作成あるいは資料作成、文章を作ることはできるようになった。

そのパソコン、いつまで使っていたのだろう。
南仏に住んだとき、当時流行していたピーター・メイルのプロヴァンスものに刺激をうけ、日本のプレスに生活エッセイを送っていた。
しかし、パソコンから直接送っていたとは考えられない。というのも写真付きで送るのに、添付などできず、紙焼きの写真を添えて送っていたはずなのだ。

アフリカでも同様だった。アフリカに関する日本語資料は少ない、と現地で発行されるものはあまりなかったけれど、旧宗主国での発行物などを入手しては、やたらパソコンに入力していた。
内乱がおきて、避難せざるを得なくなったとき、パソコンが重いことと、変にまた戻ってくる誓いの印、と粋がって、避難の荷物にいれなかった。
あとから避難したつれあいは、そういうケースに慣れているのか、自分のパソコンはしっかりもってきていた。
結局、避難生活は1年ちかくに及び、パソコンのない生活に不便はないのだが、新しいパソコンを買い求めた気がする。

だんだん性能がよくなって、プリンターもパーソナルになり、機能の面でもエクセルだ、検索機能だ、写真をいれる、なんだかんだと画面に印が増えていくけれど、私には関係ない、と学ぶことがなかった。

エクセルで家計簿つけましょう、と言われても、ノートにつけているからいいです、と言い返し、ウイキペディアには、昨日みつけたデータがでてこない、と癇癪をおこすことしきり、どうしてもレトロな紙の資料だよりの旧人類から脱却できなかった。

南仏やアフリカで入力していたデータ、いまさら役にたたないのだろうが、パソコン、当時はフロッピーに移し替えたものが今も残っている。
つれあいが、なにかの形で、次のパソコンに移してあげるからと言っていたけれど、果たしてそうしたのだろうか。
そしてその次のパソコンももう残ってはいない。

こういう形での進歩というのは、はたしていいのだろうか?
ついていけない人間には、うっとうしいことだ。

アフリカにいたとき、地元のラジオ・テレビは数時間の放送しかなく、それも同じ音、同じ画面がずっと続くといったメディアとはいえないものだった。
旧宗主国やアメリカの放送が頼りで、パソコンにyahooやほかのニュースが表れていたのだろうか。

マスメディアにも信を置ききれずにいる人間にとって、パソコンに現れるニュースなど、うたたかのあぶくニュースだとしか思えない。

パソコンをフルに利用している友人たち、現役もいれば引退者もいるが、たいしたものだ。

今日は郵便配達、あるだろうか?メールより郵便の手紙が待たれるロートルである。
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