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耐震はどこまで可能なのか

昨日、元日がゆえに酔っぱらった。
リクライニングチェアでうとうとしたのち、ゆらゆらと立ち上がったところに、緊急地震警報が鳴り渡る。テレビはつけたままだったので、そこでけたたましくなっている。
そして、グラグラときた。
わが村は自慢ではないけれど、地震は少ない。
だから緊急地震警報が鳴っても、自分のこととは考えない。
ところが、もうすべてがゆらゆら動いている。決してこれは酔っぱらっているせいではない。

地震のとき、どうすべきか?
ものが落ちてこないか、倒れないか、なんせつかまるのに、なにがいいのか、思いつかない。そうだ、テーブルの下にもぐりこむのだ、とイスをどかしてもぐろうとして気が付いた。
膝が痛んで、しゃがむことができないのだ。
がたがたと家具やおいてあるものが、うるさい協奏曲を鳴らしている。
お尻からどすんといくか?と思ってみたが、それもできない。また、もししゃがみこめたとして、地震が終わって、立ち上がれるか?
一番大きい家具、水屋ががたがたうるさいが、亡くなったつれあいが壁に留め金でとめたこともあって、音だけですんでいる。
ピアノも少し揺れてはいるが、動く気配はない。さあ、次におおきいのは自分の身だ、と我が身をどこにおくか、迷っているうちに、どうにか地震は収まった。

地震は収まったが、自分の体は揺らぎ続けている。
「元日から酔っぱらっているから、罰があたった!」という祖母とも、母とも、姉たちとも判断がつかない声が聞こえる。

令和6年能登地震、と命名された地震の最初の一撃だった。
そのあとは、緊急地震速報が鳴れど、群馬はその圏外となった。
それでも、警報が出るたびに、というより、最初の一撃から、体は揺れ続けている。

友人の一人は、お正月なのに、という。自然の現象が、暦を考慮してくれるものだろうか。
あの太平洋、フィリピンやインドネシアに大きな被害をもたらした地震は12月26日、クリスマス当日ではなかったが、クリスマス休暇を楽しくすごしている最中の地震であり、津波であった。

その後のNHKはずっと地震の報道ばかりである。
しかし、テレビの画面は、津波の予想数字や、なにか公的な発表事ばかりが出て、現場の写真がでてこない。最大震度は7,我が家は震度3でもこんなにうろつくのに、これは東日本大地震のときもそうだった、震度が7ともなれば、どんな被害がでているか、想像するだにぞっとしているが、それが画面にでてこない。
災害報道はNHK、という観念があるから、ずっとNHKにチャンネルを固定させていたが、群馬は緊急地震速報の中に入らなくなって、寝室のテレビをみるようになった。
民放にうつすと、テレ東を除いて、民放もそろって報道特番になっている。
画面に被害の実態がでてきた。

能登半島に断層があること、そのせいで地震が多発すること、までは知っていた。
さらに、今回は、日本海はおおきくとらえれば内海なんですよね、という解説。だから、波動が日本から朝鮮半島、ロシア、その海岸にいって、そこからまた日本に戻ってくる、津波はだから何度も何度も、時差をもって、勢力も小さくなることもあれば、大きくなることもある、戻ってくるんですよね、と専門家がいう。
そして、津波警報の範囲は北は北海道、南は九州まで、日本海沿岸をつないでいる。

去年2月のトルコやシリアで起きた地震のときにも思ったものだが、耐震技術は科学の進歩かもしれないが、自然はそれを考慮しているのだろうか。
あの能登半島にある家屋の屋根の美しさ、そのほとんどが崩れ去っている。
自然と人間の智の争いなのか。人間はなにもかもコントロールしようとしているが、それは思い上がりではないのか?自然の動きを災害と言えるのか、地震の主に問いたい。

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元日から酔っぱらって

うっすらと雪化粧して始まった令和6年元旦、朝食はいつものパターンですませる。
つまり、パンとコーヒー、パンは小さいパン・オ・ショコラ、それにバナナ1本、ヨーグルト(自家製ジャムをいれて)、変に余計なものをいれないほうがいい。

そもそも、お節料理というのをいつ食べるのか、人生終末期になったのにわかっていない。
小さいとき、いつたべたのだろう。記憶にない。お節料理というものをちゃんと作れるような時代ではなかった。

いま、いろんな形で、おせちというものがでているけれど、エビ、カニ、タコ、筋子、その他の魚介類、卵焼きに伊達巻、いろいろあるけれど、実家でそんなものをみたことがなかった。時代の違いなのだろうか。

そして、人と話すとき、ある関西出身者は、12月31日におせちを食べるといい、別の地方のひとは、朝食にみんな揃って、お屠蘇から始まるおせちを食べるという。

亡くなったつれあいの家はどうだったのか、元日をつれあいの実家に行くということはしなかったので、もう記憶にもなくなった。

一人、気楽にすごす元日、おせちなど作る気にもならないけれど、やっぱりほしくて買ったもの、料理の先生の従妹が送ってくれたもの、そして野菜を一度にたくさん作りおきできるから作った筑前煮、やる気がないにしては、どうにかそろった。

お屠蘇はない。この10年以上、アルコール類を買うことはなく、かろうじて、一昨年、庭のユスラウメを漬けた果実酒が残っている。
昨年のお正月もそれを飲んだ。そして酔っぱらった。
その記憶ははっきり残っている。

でもお節料理というのは、酒のつまみ、というものが多い。数の子、松前漬け、こういうしょっぱいものは酒で流すことになる。
以前、持っていたお屠蘇セット、豪華に象彦の漆だったが、人にあげたか、骨董屋さんにひきとってもらったか、もうない。
ぐい飲みの類はまだたくさん残っている。その中の大き目のものを選ぶ。
1杯きりだから、と大きなものを選ぶところが、自分を甘やかしている。
お医者さんから禁じられたわけではなく、自己規制にすぎない、禁酒状態、昨年の元日に飲んで以来、守っている。
例外は、フランスへ行ったとき、泊めてもらった従妹たちの金婚式を迎えたというランチでのワイン、私自身の誕生日に、友人が用意してくれたシャンペン、くらいだ。

友人たちとの会食でも、飲み放題の集まりでも、しっかり自己規制していたのだが、今日は許す。

ベランダにくる野鳥たち、そんな私を見くびってのことか、餌の容器を、何度も落としてしまう。
鳥たちにも馬鹿にされた、と少しふらつきながら、容器の籐バスケットを元の位置に戻し、ヒマワリの種を追加する。

こんなだらしない過ごし方、年に一度のことです。
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