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今日は母の命日

8月29日、今日は母の命日だ。
何年前になるのだろう、89歳11か月で亡くなった。
当時、私は東京、母は九州に住んでいた。

もう深夜、12時近い時間だった。遅い時間に鳴る電話、外国からかと思った。
弟からの電話であった。母がいた老健施設から電話があり、様子がおかしいということで、そこへ向かっている、というのかこれから向かうというのか、当時、まだ携帯電話などないころだった。

翌日、とりもとりあえず、というより、もう喪服ももって、九州へ帰った。
母は、すでに遺体として自宅に帰っていた。

母が恋しい。こんなに年をとっても、母が亡くなった年にはまだ間があるけれど、十分近い年齢ともいえる年齢になったのに、どうして、母は恋しいのだろう。
昨夜、姉が古い写真を送ってきた。
ギリシャを一緒にクルージングしたときの写真である。
あれはサントリーニ島だったか、何島というのだろうか、港から町まで、ロバにのって登っていく。
年寄には無理だから、お母さんは車に乗せてもらいなさい、と言いおいて、姉の家族と私は、さっさとロバで上っていった。
なんということはない、母もロバに乗って登ってきたのだ。

クルージングの間、海が荒れて、船酔いに苦しみ、食事の案内があっても、ベッドからでられない姉と私、母は、小さな甥たちをつれて、食堂でちゃんとオリーブ油たっぷりのギリシャ料理を楽しんで戻ってきた。

母にとって、初めての海外ではなかったけれど、このギリシャ旅行から、海外旅行の楽しさに目覚めて、それから10年以上、毎年、海外へ出かけたものだ。

旅先でも人気者になった。外国語は昔、住んだことのある中国語以外、話せる言語はなかったけれど、どこにいっても、身振り手振り、ちゃんと用事を果たせていた。

人生の最後は、老健ですごしたが、そこでもコーラスの伴奏をしたり、俳句のクラブに入ったり、書をたのまれれば書いたり、また日曜ごとに教会へ通い、通えなくなると、教会の方たちが訪ねてくださる、というように、周囲に人をひきつけ、子供たちが離れていても、孤独ではなかった。

手先の器用な人で、私には、ギリシャのパルテノン神殿で会った外国人のまとったロングのマントがかっこよかったから、と表は黒、裏は深紅のマントを作ってくれたり、奇想天外な服をも工夫して作るという、デザイナー、縫子という才能も持っていた。

先日、フランスに行ったとき、昔の知人と電話で話した。
彼は、ブルターニュでの思い出を話してくれた。それは母と一緒の時で、母が膝のあたりを悪くしており、自室でお灸の治療をしたときの話だ。
ママンはすごかったね、あの年齢で、ヨガをしたり、体を焼いたり(お灸のこと)、東洋の不思議の塊だったし、冷たいブルターニュの海でも一人泳いだよね、と彼は言う。
よほどの思い出だったのだろう。

今日、弟がお墓に参ってくれた。離れて住む姉と私は、ただ思い出をたどり、彼女のことをしのぶだけであるが、思い出はとても尽きない。
トルコの田舎で、綿の収穫を手伝って、農婦の方から食事に招かれた(断ったけれど)こと、フランスのカルカッソンヌの古城みたいなホテルでは、バルコニーで、ロミオとジュリエットのシーンを演じさせられたこと、スイス・アルプスでは、ハイジのシーンを再現したり、マルセイユの港では、モンテクリスト伯のストーリーをたどったり、母の読書の片りんが思い出される。

母に会いたい。
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