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雑草という名前の草はない

雑草という名の草はない、これは昭和天皇が言われた言葉として、世に知られている。
皇居の草(雑草)を刈ってしまった庭園担当者が、雑草だから刈りました、といったことを申し上げたときの天皇の言葉、というように言われている。

しかし、なにかの本には、そもそものこの表現は、牧野富太郎博士が発せられたことばらしい。

それならそれで、彼ならすべての植物をリストアップし、分類し、学名のないものについては彼が命名した、らしいので、納得できる。

歌人である知人は、名前を知らなくても雑草とは呼ばない、野草とよぶ、という。
言葉に厳密なかたの言い方だな、と思うけれど、野草というにはたけだけしい草に対面している私としては、雑草、という呼び方以外の方法はない。

可憐な花、色鮮やかな花、姿かたちのいい葉、山野草にうやうやしく名をつらねていても、その名が出ない私には、雑草の名前など覚えられない。せいぜいタンポポ、くらいなものだ。
そして雑草に分類してしまう植物は、なんせ生命力がある、
毎年、春先、まだそんなに勢いのないうちに、私が雑草と判定する草については、頑張って取り除く。
しかし、取り残しの小さな株、落ちこぼれていた種、捨て損ねたもの、雑草はたくましい。
この逞しさから、「雑草のように生きなさい」と説教されることもあるようだが、私はこれだけ嫌われていきたくはない、と思っている。生き残るには、皇居にいかなければならない。

天皇陛下は、名前のない雑草はない、と仰せになったあと、雑草でも刈るな、と指示されたのだろうか?
もし、そうであれば、その後の皇居のお庭はどうなったのだろう。雑草の生命力をおもうと、あとは見るも無残になったのでは?と想像する。

この世界的な燃料不足、運輸費用の高騰で、輸入食物が高騰している。
高騰だけならまだお金があれば、ともいえるが、もともと、食物を人工的に栽培する、ということに違和感もある。
もし、食べ物が市場から消えたらどうする、と考えた。
自給自足ができるか?
動物性のものは、野生dの動物がいることはいる。熊、イノシシ、狸、キツネ、ウサギ、それに鳥類もいる。いつもベランダにおいた餌(ヒマワリの種)をついばむ野鳥たちも、おなかがすけば、とらえ、羽をむしって焼き鳥になるのか、
そんなこと、できっこない。熊やイノシシの餌になるのがせいぜいだ。

動物性たんぱく質をあきれあめたら、植物に生命のもとを求める。
春になれば、山菜がある。ウド、フキノトウ、タラの芽、ワラビ、ぜんまい、ギボウシ、山菜はある。
しかし、腹ふくるるものではない。
それに季節性がある。春先はいいけれど、通年で食べようと思えば、それこそ雑草に頼らざるを得ない。名前を知っていようといまいと、どれなら食べられる、という判断をしなければならないのだが、わが庭に出てくる植物は、毒性の強いものが多いのだ。

そういえば、行者ニンニクが育っている。これは食べられる。
今年の課題は、雑草の名前を覚えることと、食べられるものかどうかチェックする、なのだろう。

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