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どんな本を読まれますか?

読書が趣味というと、「どんな本を読まれますか」と読書の傾向を尋ねられることがある。
N'importe quoi、なんでもいいんです。活字であれば、と返事していた時代もあった。

今は選ぶ。というのも、読書に与えられている時間がきっと無制限ではない、ことに気づいているからだ。
といっても、厳密に選ぶことはない。どちらかといえば、友人たちが送ってくれる本、これはすでに読んだものでない限り、ちゃんと目を通す。
ジャンルは、友人たちの好みということになる。新刊書であれば、話題になっている著作、そうでなければ、彼女、彼の専門や好みのものだ。

小さいとき、それこそ、本というものに接したときも、好みはなかった。
我が家は貧しく、子供用に本を買ってくれるような余裕はない中で、どう本に接していたのだろう。
記憶にあるのは、少年少女用の世界名作全集などから読んだものだ。「若草物語」「アルプスの少女」「巌窟王」この3冊が最大の記憶に残るもので、「アルプスの少女」でスイス、「巌窟王」でマルセイユ、と必ず訪れたい場所を決め、そしてのちに行った。
「若草物語」は、4人姉妹のなかの2番目、ジョーにあこがれ、私も絶対物書きになるんだ、と美人になりそうもない自分に将来の可能性を示唆したのだ。

小さいとき、図書館というのを利用したことがなかった。市立の図書館はすぐ近くにあったけれど、我が家の大人たちが利用しなかったこともある。
どちらかというと、当時は貸本屋があって、家族で利用していた。
活字が大好きだったので、漫画は読まなかった。
母がどうして好きだったかは知らないが、時代劇が好きで、山手樹一郎という作家のシリーズを借りては読み、読んでは返し、を繰り返した。1回10円とかで、2,3日借りられるのを、母と私で急いで読んでいたように思う。
後年、参加していた短歌の結社に、山手樹一郎の娘さん(私よりずっと年長だが)がいらっしゃるということだったが、もうすでに彼の本は卒業していた。

乱読、というのがふさわしい、決して読書家とはいえない。
そして、本は買わない、こんな本好きなのだ。
買わないのではない、変えないのだ。

大学時代、本屋さんが毎週、御用聞きにきてくれるようなところに住んでいた。
自分で払わなくていい、というので、歴史や文学、詩などの全集もそろえたけれど、一度も箱から出さないものもあったりで、あの時は、本当に馬鹿なことをしていた。

今は時に専門書にも目を通すことがあるが、もっぱら文学、というのか小説である。
芥川賞の作品はあまり読まない。私の脳力では面白く思えないものばかりだ。
直木賞はもう売れた作家の作品だから、それなりに面白い。

好きな文体の作家は?といわれても、誰とすぐに名前がでないけれど、今風の文体は苦手だ。
オッス、とかなになにスー、などの会話、それも若い人たちの会話をそのままに書いたものは、読む気がなくなる。
「とんでもございません」などとあると、なんだこの作家は?と読み続ける気力をなくす。

以前は一冊の本を読み始めると、終わりまで読み通す主義だった。
今や、読書タイムのベッドサイドには最低2冊、ひどいときは3冊を用意する。1冊は小説、1冊は評論的なもの。図書館から借りた本などは、期日があるから先に読むけれど、内容、文章、ともに目にはいってこない本もある。そうすると、4,5ページで選手交代になる。
小説になると、1章のみ、と決めていても、ついついページがすすむ。

縁のある作家も数人いる。早川書房から探偵ものを出していた作家は、血はつながっていないけれど、親戚だ。高校の後輩では、箒木蓬生、東山彰良、などがいるし、その昔の有馬頼義は元藩主の家柄だ。

なんだかんだ、という人生ではあったが、1日24時間のうち、最低4時間は読書に使える現在の生活、なにものにも代えがたい。

今日は午後の時間を、友人たちからの本の整理にあてた。
文庫本、新書版、その他の単行本、に区別する程度の整理だ。

今読んでいるのは、「アルタイの片隅で」というモンゴルの話と、日本のポリスものだ。
気が狂いそうに本がたまっているけれど、1冊そして1冊、ローマの道も1歩からだ。

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