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先祖の年齢チェック

わが生家は後妻の家系?なのだろうか。
先日、10歳年長の姉と4歳下の従妹と会った。
従妹の母親が、われわれの父親の妹である。
したがって、わが生家が、彼女にとっては、母親の実家となり、彼女の血の2分の1を占める。

そんなことで、家族の系譜の話が出た。
長兄が作成してくれた家系のメモを持参していたので、それで家族をたどっていく。
この家族系統図、家系図というほどのいかめしいものではなく、あくまで兄が作成した一覧表だ。
戸籍の原本をたどればこういう図も作成できるのだろうか、まずは私たちの3代前から書いてある。

曾祖父と曾祖母、そして祖父、この祖父が葬祖父母にとって次男となっているが、これは長男が死亡したのだろうか?
祖父は2度結婚している。最初の結婚で私たちの父が生まれ、最初の妻の死亡後結婚した、私の記憶で祖母と呼んでいた人との間に、従妹の母が生まれている。
この表にみる後妻NO1である。

次いで、父は最初の結婚で2男一女を得るが、妻は29歳で死去、次男のお産が原因らしい。姉の母である。
何年後になるのか、父は再婚、私の母ということになるが、母との間には2男2女が誕生したが、母との間の最初の男児は3歳で死亡している。私にとっては弟だった。

こうっしてみると、早死にの人が多く、それが女性の場合、男性はだいたい再婚している。
また幼児での死去も多い。
妻の場合、祖父の最初の妻は24歳で亡くなり、父の最初の妻は29歳で死去している。

子供では父の兄にあたる人が6歳、母を異にする弟は3歳で死亡、父の子供の段階では、先妻の子が0歳で、私の弟が3歳で死亡している。

当時は、こうして大人も子供もあっけなく死亡していたのだろう。
しかし、生き残った人たちは、なかなかに長命で、本当の祖母ではないが、継祖母は89歳、伯母は100歳、母は89歳だった。
そして今や、高齢者ぞろいとなり、家族の中の最高齢であった伯母の100歳を超えてみせる、という長兄もいる。

小さいとき、同居している家族の中の正体不明の人間が、どういう関係であったか、というのがこの図でようやく理解できた。
大ばあちゃん、と呼んでいた人は、本当の祖母ではなく継祖母であったこと、小ばあちゃんと呼んでいた人は、大叔母であり、正体不明な存在であった女性は、父の姉、また、小さいころは関係不明の人たちが兄と姉であったこと、など、この図でみれば一目瞭然だ。

異母兄弟、異父兄弟、もちろん姉妹もそうだが、そういう尊大を半分の姉妹、兄弟とフランスでは呼び、父、母を同一にする兄弟姉妹とは別にする。
東南アジアあたりだと、その表現がきちんとされる。つまり、異母の兄弟姉妹が多いので、そこをはっきりさせるのだ。

先日、姉が88歳、米寿を迎えた。その時、自分の人生を文章にしたという。
口述で聞いたのだが、「幼くして母に死にわかれ。。。。」といった文章で始めたとか。
そのとき、そうか、母というのは、私が母と呼ぶ人とはちがったのだ、と思った。

ふつうに会話するときは、私の母を彼女も母と呼ぶけれど、戸籍の上でも母ではなかった。

去年、帰省して、菩提寺の墓に参った。その時、墓石に記された名前のほとんどを知らなかったけれど、若死にした先祖だったおのか、と納得したのである。
先祖の名前を知ったところで、ファミリーヒストリーをフォローするわけではないが、ようやく、なぜ我が家には後妻が多かったか、の理由もわかった。

ちなみに、1947年の平均寿命は、男性で50,06歳、女性で53,96歳であったとか。
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