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J'ai survecu 私は生き延びた

もう2週間ほど前から、最低気温がマイナスになり、毎朝、餌をもとめてくる野鳥のための水も凍っている。割と浅い容器に水をいれるのだが、底までバリバリに凍り、真ん中が盛り上がってきたりしている。
霜も当然で、屋根は真っ白になっている。9時頃になると、その霜が解けて、水滴が落ちてくる。

寝室の気温は5度以下、布団から出ると、きゅっと体が縮まる。
暖房は装備しているが、ファンヒーターなので、やたら空気は乾燥する。加湿器をつければいいのだが、毎日、加湿器を掃除したり、水をくわえたり、それを階下におりてしなければならない。
あれもいや、これもいや、で寝室の暖房は、ある一定の温度になったところで消している。

寝室の気温が0度になれば、ちょっとやばいけれど、4,5度ならまだ大丈夫・
生き延びていける。

J'ai survecu、これはタレーランが発した言葉と記憶している。
私は生き延びた!
たしか、ナポレオン帝政を打ち破ったあとの始末を話し合うウィーン会議で、王党派としてこの会議に出席した彼に対して、だれかが感想を求めたとき、彼が発したことば、だと記憶している。

今は、毎日、真冬日というような日の就寝時に、この言葉を発する。
寒さこらえての日々、風邪もひかず、コロナにかからず、交通事故をおこさず(まだ路面は凍っていない)、ヒートショックにもならず、なんせ、生き延びている、まさしっく、私は生き延びた、と言いたい毎日なのだ。

しかし、この言葉、真逆の環境にあったときも口にしていた。
アフリカ、南緯6度、熱帯で生活していたとき、毎日、就寝時にこの言葉を口にしていた。

伝染病、治安、食料危機、政治不安、なにかとネガティヴな要素があって、停電も、断水もなく、ごちそうとは言えないシンプルな夕食を食べ、濁ったお湯のお風呂に入り、どうにかベッドにはいると、自然とこの言葉が出るのだった。
しかし、夜中にヤモリの訪問、あるいは蚊の飛ぶ音、それよりも、隣国での騒乱の音、なにかしら、安眠を許さないことがおきる。
けっして、夜なら平安というわけにはいかない。

上水道、下水道、そんな水道の別はないし、水が水道管から流れてくるだけで恵まれているのに、浄水器だけでは不十分、水は煮沸して、あるいはボトルの、それもヨーロッパからのもの、使用期限もみて、などと神経質になっていると、心が病んでいくような日常だった。

あの日常に比べれば、この寒さ、しのげないわけではない。暖房も費用を考えなければふんだんに使える。
といっても、このところの世界情勢で、ふんだんに、とは心理的に許されなくなってきたけれど。

生き延びた、これは私にとって、呪文だ。

ウクライナで、困難にあっている人々、彼らにとっては、それこそ、生き延びたい、そして生き延びた、となるのだろう。どうか、生き延びてください、これを呪文にしなければ。
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