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ブログに復帰

ようやくブログに復帰できました。
前回、最後のブログは2019年9月、長いブランクです。
数人の顔がわかる読者からは、ブログ止めたの?と直接問い合わせをされ、パソコン不調により、と言い訳していました。

この言い訳は本当のことで、前のパソコン、古すぎて、起動が遅い、転換ミスがひっきりなし、というので、パソコンを使っての作業をほとんどすべてやめていたのです。
買い替えなければ、と言いつつ、結局、3年近くのブランクができてしまいました。

再開後の初ブログは、いかにデジタル化に乗り切れない一人の高齢者の問題点を書くつもりでしたが、新しいパソコンに変えたときのハプニング、購入時の話題、ボケとパソコン、いろいろ出てきて、そんなこと、あんなことを書こうと思っていたのに、あまりにありすぎて、文章はまとまらず、とりあえずは再開のご挨拶までです。

この3年間に我が身の老化を痛感することが多くありました。
ブログももっと正直に、正論より私論優先で、どうせ、といえば自虐的ですが、読者も限定、なんだか社会の動きやマスメディアについていけないところを書いていこうと思っています。

外はセミが鳴きわめいています。
思い出しました。セミのことで一つ。

南仏ではセミは幸福を運んでくるといって、セミの飾りなどをよく使います。
外壁にセミの姿の飾りをつけたり、セミの図柄の食器、あるいは、プロヴァンスプリントの柄にはセミが多いです。
それでいて、フランス人は日本ほど、セミについての言葉がないようで、いろんな言語に通じているフランス人に、せみ時雨に相当するフランス語を聞いたとき、セミはうるさいもので、せみ時雨といった風情ある表現はない、と言われました。
また、源氏物語の空蝉という名前には、いたく感激して、なんと詩的な名前なんだ、と感激していました。
セミが脱皮して、この時雨に相当するうるさい鳴き声を聞かせるのも7日間、といいますが、これは実証されているのでしょうか?
そういう意味で、「八日目の蝉」というようなタイトルの小説をみたとき、そうか、九日目、十日目の蝉ではありえないのか、と思いました。

先日、玄関先を掃除していたとき、小さなセミが肩にとまりました。盛夏の蝉だと、とても大きくて、つかむことはためらうのですが、あまりに小さく、かわいいのでついつかんだのです。
小さいとき、セミとりはしたし、こわいとは思いませんが、大きいのはグロテスクにみえて敬遠します。
シーズン終わりのツクツクボウシのような大きさでした。
あなた、この世にきて何日目?あと何日寿命はあるの?と聞いても返事はありません。

写真にとって、小学1年生の子に送りました、夏休みに行くから、それまで飼っておいてね、と言ってきましたが、セミの命は短くて、と返事をする前に、消え去りました。

そういえば、アフリカではセミがいたかどうか、覚えてないな、いたかしら?となくなったつれあいの写真に問いかけましたが、返事はありません。
政治情勢が厳しくて、とても自然には目も耳もむけなかったつれあいは、セミ?知らん、と返事しそうです。

入梅前からセミが鳴いている今年、気候変動のせいなのか、これまでも例年こんなものだったのか、
蝉にきいてもわからない、です。セミにききたいことはまだあります、雨の日は鳴きません。どこで何をしているのか、知りたいのです。

玄関を飾るセミのおかげか、あるいは我が家にたくさんあるセミグッズのおかげか、我が家は平均的に平和にすごしています。そういうことから、セミの鳴き声をきくと、なんだか心が安らぎます。

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