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英語を話したい小二の子

先日、「ふれあい教室」に参加した。指導員のヴォランチアである。参加者は1年生と2年生あわせて60名。指導員はリーダーほか4名だ。

今日はビニールの袋に太いサインペンで絵をかいて、ストローをいれ、口をふさぐ。それを紙コップのなかにかくして、穴からとおしたストローで空気を吹き込み、むくむくと袋が出てくる、袋に書いた絵が何か(猫や犬、といった動物など)で、意外性を楽しむ、という遊びである。

みんなの絵心次第で、動物やお化け、怪物、いろんなものが出てくる。それぞれのアイディアに、日本語でほめ言葉を出すのにあまりに平板になったので、英語やフランス語でほめることにした。単にブラボーとかビューティフル、ナイスといったわかりやすい言葉である。

それに反応した子がいた。「先生、英語を話すんですか?」と聞いてくる。うーん、英語はあんまりなんだけど、と思いながら、「話すわよ」といい、「あなたも話すの?」と聞くと、Yes, I canと答える。それならと、お名前は?何年生?と英語で聞くと、ちゃんと文章の形で答える。

この村に2人のアメリカ人が英語教師として派遣されている。彼らの授業の成果とすればすばらしい。単語でなくて、文章の形になり、それが正確だし、発音がカタカナを読んでのものではない。

本当に簡単な会話ではあったけれど、この小二の子は、ほほを赤くして一生懸命に話す。話せる内容が途絶えたところで、もともとのふれあい教室の遊びに戻ったけれど、この子の熱意、うれしかった。こういった形で会話を重ねれば、会話というもののタイミングがつかめる。聞くこと、こたえることの内容が変化することに対応できる。

また会いましょう、さよなら、とタッチをして別れた。
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独裁者の最期

37年大統領の座にあったジンバブエのムガベ氏、とうとうその地位を去った。後任は副大統領としてムガベ氏を支えてきたものの、大統領夫人が後継者の地位を狙ったため、その地位を追われたムナンガグワ氏である。

先日、その就任式が行われたが、なつかしい光景だった。これがアフリカという光景だった。特別に大きい競技場、満員の群集、その中で大統領就任の宣誓、新大統領としてのスピーチ、軍隊の行進、民衆も加わってのダンス、デジャヴュの世界だ。

つれあいと滞在した国でも同じ場面があった。就任式ではなかったと思うが、つれあいは義務として列席した。延々8時間以上、太陽が照り付ける中、大統領はなかなか現れず、また現れたと思うと、その演説はエンドレスだった。

そのムナンガグワ氏、新大統領として決めたことの一つに、ムガベ氏の誕生日を国の祝日にするのだという。「ロバート・ガブリエル・ムガベ国民青年の日」として2月21日を休日にするのだそうだ。
ムガベ氏は大統領を自発的に辞任したことになっている。訴追もうけず、財産も身の安全も保障されているのだそうた。

無一文で追放されても、ムガベ氏を亡命させてくれる国はないのでは?と思うから、彼が自国にとどまれるのはいいのだろう、と思うけれど、ムガベ氏37年の悪弊は残ってしまうのではないだろうか。

いろんな独裁者のプロフィールが思い出される。たとえばザイール、今ではコンゴ民主共和国と名前を変えているけれど、モブツは32年、大統領だった。最後は病気療養のため、フランス滞在。その間に反乱軍のカビラが首都キンシャサを制圧。モブツはモロッコに亡命。そこで亡くなった。

後をとったカビラは数年後に暗殺された。しかし、そのあとは息子が継承。なんだかんだとあってもその息子がもう15年ほど、大統領の座にある。

リビアのカダフィ、イラクのフセイン、エジプトのナセル、サダト、ムバラク、少し時代が古いけれど、アフリカにはアミンもいた。

私はアフリカに西欧型の民主主義が具体化するのは、まだまだ50年はかかると思っている。地縁や血縁の強烈な絆、縁故主義、贈収賄、あなたのものは私のもの、と言った意識、部族意識の強さ、なにもかもが私たちの常識をこえたものだ。

ジンバブエの新しい大統領といっても、旧体制の出身者、どっぷり元大統領のネットワークに属しているはずだ。私は彼に期待しない。
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改元をいつにするか

今上陛下の退位は受け入れられた。さて、それをいつにするか、というのが次なる問題となっている。

通例なら、天皇崩御のときにその元号は終了し、次なる元号が決められる。昭和から平成に移ったときがそうだ。それが1月7日だったから、ほとんどは平成なのに、1月7日までは昭和という、本当に混乱する改元となった。

今回は予定できるのだから、すっきりと1月1日にしてほしい、と私は思っているのだが、いろんな事情が絡んでいるので、そうもいかない、ということらしい。

しかし、考えてほしい。私は若くはないけれど、それでも外国とのつながりがあるので、西暦で考える。ところが、半分公務員的な仕事をすると、書類は必ず元号で書かなければならない。混乱すること甚だしい。

変えた年は記憶にあって、それが4月1日でも5月20日でも覚えていられるだろう。しかし新しい元号が10年、20年となったとき、この元号になったのはいつだったっけ、と迷うようになる。

1月1日は宮内庁の事情でダメなのだそうだ。年末年始は儀式や宮中祭祀がててこみ、(西暦)19年1月7日には昭和天皇が亡くなって30年の式年祭もある、という理由、なのだそうだ。(朝日新聞2017年11月25日付社説の一部)。

3月から4月にかけては国の予算案審議や統一地方選挙が予定されているというので、政府側が避けているらしい。

ちょっと待ってよ、と言いたい。宮内庁も政府もそれぞれ事情はあるだろう。しかし、こういうご退位については1回きり(次の天皇もそうなさるかもしれないが)のこと。毎年というわけではあるまい。都合を言えばきりがない。10年後、20年後を考えてほしい。

あるいは、ご退位と元号を分けて考えるという方法もある。イギリスの女王の誕生日祝いは、季節のいいときに決まっている。本当の誕生日は別だが、それをもう習慣としているのだ。

日本だって、現天皇が12月23日、外国にある日本大使館がこの日にレセプションをしないのは、年末で出席者が見込めないからだ。いっそ、昭和の日である昭和天皇の誕生日を恒久的に使うとすればよかったのに。

母は大正元年の生まれだった。お隣のおばさんは明治45年だった。西暦でいえば同じ年なのに、明治生まれと大正生まれと違ってしまった。

私もこのままでいけば、昭和、平成、そして次の元号と、3つの時代を生き抜いて(抜けるかな?)いくことになる。そういう意味では時代感覚はでてくるけれど、別にどうしても、という気持ちもない。

ご退位について、やけに古い時代にさかのぼって時代考証をしているところもあるようだが、もういいじゃないの、という人も多いと思うのだが。

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そして誰もいなくなった

「そして誰もいなくなった」は何のセリフだっただろう。この頃、忘れることばかりで、語源などについてはもういい加減だ。

このセリフ、今回の相撲界の騒動をみていて浮かんだものだ。

この騒動の結果、横綱が誰もいなくなるという可能性はないのだろうか。この場所、鶴竜が休場を決めていた、3横綱が出場したというものの、稀勢の里の危うかったこと。そして何日目かに負けの星が先行して、休場となった。あの様子で来場所どうなるものやらわかったものではない。

そして日馬富士、騒動の主人公だ。途中から休場ということで処理しているけれど、暴力が原因だから、どんな理由だったかがわかっても、もう横綱を張っての土俵は不可能なのでは?と思う。

そして白鵬だ。飲み会の現場にもいて、騒動にも立ち会っている。日馬富士の暴力を止めたと言っているようだが、彼も殴ったということはないのだろうか?今のところ、一点の曇りもないような言動をとっているけれど、私にはどうも眉唾のかんじがしてならないのだ。


鶴竜が来場所出場できるとしても、この頃の成績から、あまり期待はできないと思う。稀勢の里についてはあきらめている。

さあ、来場所、横綱が何人残っているのやら。横綱ゼロの場所というのもあるのだろうか。
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Feminicide(女性がゆえの虐殺)

久しぶりにルモンドの記事をザッピングしていると、Feminicideという言葉とJournee mondiale de lutte contre les violences faites aux femmesという言葉にいきあたった。

Feminicideという言葉は初耳というのか初めて見る。辞書で調べるが、載ってはいない。私の辞書は古いので検索してみる。
le meutre d'une ou de plusiieurs femmes ou filles en raison de leur condition feminineとある。
女性であるがために、一人あるいは複数の女性あるいは若い女性を殺害すること、とでも訳するのだろうか。いわゆるgynocide, gynecide, homicideなどでもあるように、-cideは殺人や殺人者を表すから、女性を的とした殺人、とでも訳せるのだろう。


Journee mondiale de lutte contre les violences faites aux femmesは「対女性暴力に戦う日」(うまく訳出できない)というのだろうか。これについては、BSの各国のニュースをみていると、フランスはもちろん、アメリカやほかの国々でも取り上げていた。
つまりドメスティックヴァイオレンス予防の日というわけだ。
11月25日と決まっているようだ。フランスでは配偶者あるいは元配偶者から、3日に1人の女性が殺されている、という。

妻あるいは元妻だけではない。恋人やパートナーとなった人、そしてそれらの人たちだけではなく、子どもも巻き添えになっている。

日本でもストーカー被害などがずいぶん大きく扱われ、警察も相談にのってくれるようになったというけれど、この11月25日については、どのメディアもふれていなかった。土曜日のせいもあったかもしれないが。

もう数年前から行われているキャンペーンのようだが、今年が初耳であった。
11月25日といえば、私の記憶しているのは、Sainte Catherineの祭日で、25歳の未婚の女性のお祭りと、のどやかで楽しいお祭りの日だったのだが。






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同性パートナーについて

今日の朝日新聞では、竹下発言をフォローしていた。同性パートナーは外交の世界でも、日本においては否定されているという。

”これまでも駐日外国大使の同性パートナーは「配偶者」として認められず、宮中行事などに参加できなかった”ということを報じている。

大使というのは、出身国を代表しているだけに、天皇誕生日の祝賀レセプション、園遊会、新年祝賀会、赴任や離任の際の懇談、いろんな場合に皇居に参上し、天皇・皇后両陛下にお目にかかることになる。

この新聞記事によると、”外務省によると、大使などの同性パートナーは03年から、外交関係に関するウィーン条約の定める「外交官の家族」として対応している。ところが、日本は同性婚や同性パートナーシップといった制度がないため配偶者として認めず、23歳未満の子供と同じ扱いにしている。このため、夫妻で招かれる天皇誕生日の祝賀レセプションなど、外務省主催行事で招待状を送っていない」という。

23歳までは子供なのか、という扱いも疑問だが、もし、横紙やぶりの大使がいて、同性パートナーを認めよと主張したらどうするのだろう。(異性であれば事実婚でもいいらしいのはオランド大統領訪日時に証明されたが、複数の夫人を同伴するというのはどうなのだろうか)

G7のなかで、同性カップルの法的権利を保障していないのは日本だけ、というが、憲法に結婚は異性のカップルと書いてあるのをどうするのだろう。

また、皇室のメンバーは常に異性間の愛情をもつ、のだろうか。

朝日新聞のこの記事は、興味深いフォローだった。

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同性カップル、国賓としてふさわしくない

自民党の竹下氏が、同性カップルが国賓として来日、つまり外国の元首カップルが同性であり、国賓として来日した場合、公式晩さん会で天皇・皇后両陛下と席を並んで座るのは好ましくない、という発言をした。

なんでこんな発言をするのだろう、と思った。こんな例が現実におき、彼がその接遇の責任者であるのならともかく、いつかこんなケースが起きるだろう、という仮定で発言している。

結局、この発言は撤回したらしいけれど、この発言で、自民党の体質というのがよくわかる。憲法にあるとおり、両性の合意のみで結婚は成立する、という条文を金科玉条としている人たちだ。

そして、困る、という例に、2013年のフランス大統領公式訪問時のことをあげている。オランド大統領は結婚しておらず、公式に同棲している女性が夫人として扱われた。この女性のこと、ファースト・ガールフレンドと訳したり、premiere compagnonと言ったり、どう表現すればいいか、それは困ったものだった。

公式にこだわる宮内庁は本当に困っただろうと思うが、こういった例は過去にもある。ミッテランが大統領の時代、天皇・皇后両陛下がフランスを公式訪問をされた。エリゼ宮殿での公式晩さん会に、ミッテラン大統領の婚外子が出席したのだ。もちろん、正面の席ではないけれど、婚外子を公式晩餐に招くということに、外務省、宮内庁は困ったに違いない。まさか、ダニエル夫人を除外して、同棲している愛人を夫人の席におかなかっただけでもよかったのだが。

このオランド大統領の同棲者は、結局、大統領の浮気スキャンダルで、エリゼを去ることになるのだが、その後、出版した本のなかで、皇后陛下が「美智子と呼んでくださいね」とおっしゃって、やさしくハグをされた、などと書いていたらしいが、これは眉唾であろうかと思う。
皇后陛下が初対面の、公式の関係ではない人にハグされるとは思えないからだ。

しかし、もしかしたら、あり得たのかと思ったのは、先日のトランプ大統領の訪問時、20分の面会のあと、玄関まで送っていらした両陛下、そして皇后陛下はトランプ夫人にハグされたのだ。

国賓ではなく、公式訪問のオーストラリア首相夫妻、この場合も、正式な結婚ではなく、パートナーの関係であったが、首相(女性)が天皇陛下と、そしてパートナーの男性が皇后陛下とお話をしている場面をテレビでみて、開けたものだと感じた。

これらは異性のカップルで、公式に結婚しているかどうかの問題だが、そのうち、同性カップルで、かつ正式に結婚している、というケースもでてくるはずだ。それでなんの不都合が、と私は思うし、きっと両陛下、そして数年うちにはあとを継がれる皇太子ご夫妻も思われるだろう、と思うのだが。

竹下氏はその場合、その席に出なければいいだけのこと。
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鹿肉のレシピー

いただいた鹿の肉、一人で食べるには十分すぎる量である。以前、二人のとき、いただいても少し持て余し気味だったけれど、どうやって食べていたのか、忘れてしまった。

1日目は猟師さんの言う通り、砂糖醤油で煮て食べた。おいしかったけれど、連日、同じ味というのもいかが、と2日目はメニューを変えた。

煮込みというか、シチューというのか。
カレーと同じように、ジャガイモ、ニンジン、タマネギをいれる。ついでに村のバザーで買ったセロリをどっさりいれる。少し酢がたったように、空洞があって、スカスカしているので、生ではおいしくない。セロリだから肉の臭みもとってくれるはずだ。
プラスするところ、私の秘密の味、フランスでかったブイヨン、pot au feuのブイヨンを1個いれる。これはこういった煮込みに最適のブイヨンなのだ。

鹿肉もいれて、灰汁を丹念にとる。それからトマトのピューレを1袋いれた。さらに、タイのトムヤムクンを作ったとき、袋についていた唐辛子を残していたのを思い切っていれた。

さて、そのお味は????

いけた!!セロリに玉ねぎなどが臭みをとってくれたのか、生臭さはないし、トマト味がとてもよい。それに唐辛子のピリリがなんとも刺激的だ。

これは成功!!と自慢したいけれど、つれあいはいない。一人で黙々と食べるだけだ。


そして今日は、第一日目の醤油のたれが残っていたので、それに改めて鹿肉とシラタキをいれて、すき焼き風にした。これもおいしかった。

そのうち、ジビエ専門の料理人になるのかな?
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年金事務所からの連絡

日本年金機構からはがきがきた。また支給額の変更、つまりは減額か、と開けてみる。表には「重要」必ずご確認ください、とある。

年金についてだから、いわれなくても確認はする。開けてみると、「平成30年待つまでなら過去の未納分を納められる場合があります」との記載。私あてのものに違いはない。

次のページには「届け出すれば年金を受け取るために必要な期間となります」、「納付申し込みをすれば年金額を増やせます」とある。

ただ、奇妙なのは、「次の期間は特定期間該当届の手続きをすることで切り替え手続きが遅れたことにより納めることができなかった未納期間が特定期間となり、年金を受け取るために必要な期間(受給資格期間)に参入することができます。というあとに、未納期間があるのだが、平成00年2月ー平成00年2月とあって、同じ月なのである。

これは例えば10年未満未納付の人たちが、その期間を改めて納付すれば、受給資格ができるという制度の説明らしいが、同じ月でどういうことなのか意味がわからない。
平成00年といえば、外国から帰国した年で、年金の手続きなども必要だったかもしれないが、それについてはつれあいがすべてしてくれていた。

わけがわからないまま、ねんきん加入者ダイヤルに問い合わせをする。
つまりはこの2月の1カ月分だけ年金の手続きが遅れ、空白になっていたらしい。年金事務所の人の説明によると、1か月分の納入額、私の場合、15,510円を払い込むと、年額で1,624円増額となるのだそうだ。

納入しなくても、現在受け取っている年金が減るわけではない。15,510円を納入して、増額は月1624円とすれば、およそ10年後でなければ元はとれない。

私は考えた。私の基本姿勢として、納入すべきものは納入する。そして受け取るべきものは受け取る、この場合、受け取れるもの、なのかもしれないが。
だから、納入することにした。必要な書類が送ってくるらしい。

生きがいができた。元をとるまで、つまり10年間は生きていよう。

なんてみみっちい生きがいではあるが、なぜ、今頃になってたった1カ月とはいえ、空白期間がでてきたのだろう。年金問題が話題になったとき、問い合わせもした。そして厚生年金、基礎年金、その受給開始年齢も過ぎた。今年の1月から、つれあいの死亡による遺族年金も受け取っている。
いくつものチェックポイントがあったはずなのに、なぜ今なのだ???

年金は多くの?がある。個人では年金の金額を自分で算定などできない。インチキとは言えないのだろうが、つれあいの遺族年金ももう少し多いかと期待していたのだが、期待はずれの金額だった。まあ、いただけるだけでもいいとするのか。という考え方はおかしいのかも。きちんと収めた結果なのだから。


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gibier:鹿肉をいただきました

11月15日から狩猟解禁。わが周辺にもハンターはいます。友人の別荘の増築を受け持っている大工さんもその一人です。

昔は猟銃を抱えて、山をうろついていたらしいですが、今では罠をしかけての猟なのだそうです。
解禁から数日後、大工さんに出会いました。獲物はありましたか?と聞くと、3頭の鹿、それも大鹿をしとめたそうです。

お肉を召し上がるのですか?と聞くと、仲間で協力してさばき、その肉をわけあうのだとか。食べるかい?ときかれるので、ええ、食べます、と答える。
フランスにいたときも、秋になると、ジビエといって野生の動物や鳥を、レストランでも出されるし、いただいたりで食べていたものです。

この地にきても、イノシシ、クマ、シカ、なにかしら毎年いただいていました。そして今年も大工さんが持ってきてくれました。
つれあいが亡くなり、ひとりきりというのに、けっこう大量の肉です。

今日は大工さんのお勧めの、オイルで軽く焼いて、それを砂糖醤油で煮る、という料理法でためしてみました。明日はブイヨンで煮込んでみるつもりです。

野にはキノコ、山菜、そしてこういったジビエもいて、豊かな自然を享受できるのですが、やっぱりもう薄切りになったお肉でいいや、という心境にもなります。
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