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ジャック・シラク仏元大統領死去

9月26日、シラク仏元大統領死去のニュースを見た。
今日のF2の放送は、マクロン大統領の弔辞、30日がdeuil nationalになるということだった。

シラク大統領にはいろんな思いでがある。それは彼自身とのかかわりというのではない、ただ、仕事上でのかかわりだ。

日本の迎賓館ができたとき、最初のゲストは、フランスのポンピドゥー大統領の予定だった。ところが、ポンピドゥー氏が病気で来日できなくなり、その時、首相をしていたシラク氏が代理で来日したのだ。大統領なら国賓になるのだろうが、首相なので公賓となり、ちょっと格落ちだったが、最初のゲストというので、それなりの迎え方であった。

私は、ニューオータニに設置されたプレスセンターに詰めていたが、あとで知ったのだが、亡くなったつれあいも、シラク首相来日の受け入れ側のメンバーであったとか。

亡くなればただ立派な、いい人ということになるのだが、シラク大統領の場合、それなりの毀誉褒貶はある。
もうずいぶん過去のことえあるし、個人的な感想でもあるので、必ずしも正確ではないのだが、彼は立派な大統領であったのだろうか。

彼の功績として、イラク戦争に加担しなかった、ということが挙げられているけれど、南太平洋での核実験を再開したり、日本だけを対象にしたわけではなかったと思うが、3か月以内のヴィザ免除をやめ、フランスに行く場合、ヴィザの取得を義務付け、フランス領事館には大行列ができたこともある。

親日家で、相撲大好き、というのも好意的だが、一度、公式訪問の日程を、大阪場所にあわせて、大阪スタートにしたことがある。それがいけないわけではないだろうが。

大統領として、人気はあったのだろうか?3度目の挑戦で大統領に選ばれたのだが、再選の時であったろうか、国民に選択肢がなかったための再選でもあった。つまり、今回のマクロン大統領選出とも共通項なのだが、決選投票の対抗馬が、シラクの場合、ジャン=マリー・ルペンで、革新の人も、ルペンよりシラクのほうがましという選択のなさの結果であったはずだ。

ミッテラン大統領の再選のとき、対抗馬とはなったけれど、再選を阻むことはできなかった。とはいえ、社会党の人気もなく、いわゆるコアビタシオン(同棲)という形で、社会党出身の大統領に保守の首相となった。ミッテランは本人の健康状態も悪かったらしいが、死に態に等しかった。

そんな中で、東京サミットがあり、ミッテラン大統領とシラク首相の2頭出席となった。シラクとしては、ミッテランには控えてもらうつもりだったらしいが、そうはいかない、ミッテランのほうが政治巧者である。サミットでは首脳、大統領がいればそれは大統領のこと、首相は外相を欠席させてその代わりにきているのだが、結局、中途半端なポジションになり、赤恥をかいてしまった。

お金の問題でもいろいろあった。パリ市長時代の問題、アフリカ某国との癒着、コレーズ県に所有するお城への補助金の件、ほかの大統領が清潔であったとはいえないが、彼はスキャンダルまみれでもあったのだ。

パリの父は、頑固な保守であったが、ある時、シラク大統領のことを、第五共和制最低の大統領だ、というので驚いた。ミッテランより悪い?と問うと、より悪い、という返事だった。

ブルドーザーというあだ名の通り、エネルギーはすごかったらしい。日本では、懐石料理は前菜にすぎない、と、公式の会食のあと、かならず肉料理を食べていたという話もある。

それでも愛すべき大統領だったのだろう。国葬になるのだろうか。私もまた、パリでの相撲興行時に会ったシラク氏の豪放な雰囲気をなつかしく思い出している。
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