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効率はもとめない、一つ一つを着実に

9月4日付の朝日新聞24ページに載った池澤夏樹氏の文章にうなった。
終わりと始まりという欄なのだが、まずは少し引用する。「まずは個人的な話。自分が老いたと思う。それが日々実感される。身体能力が少しずつ失われる。」

出だしが個人的な話とあるが、老人なりかけ(しっかり老人になっていても)が特に感じる現象だ。
ちょっと略して、そのあと、「我が血流は消化か歩行か思考かの一つにしか行かない。二つのタスクが同時に実行できない。(行かえ)足元がおぼつかない。駅の階段を下りる時は一歩ずつ決意して踏み出す。歩道のわずかな起伏に躓きかねない。長く坐っていたあとで立つとふらつく。万事ゆっくり。万事慎重。つまり愚図」

同感、同感。彼はほとんど私と同年齢。思うことはほとんどが共通しているようだ。

昔はこうだった、あれもできた、これもできた、と思わないようにするようになったのは、いつのころからだろう。今のモットーは、一つ一つを着実に、効率は求めない、動線は長くてもかまわない、長い分は運動だ、階段の上り下りもいとわない、それが今日の運動と考えればいいのだ、ということだ。

このパソコンを開くまでに、1階と2階を3往復した。まずは2階にあたったとき、3つの用事をするはずだった。一つは、買い物のレシート(カードで購入したレシート)を箱にしまうこと、2つ目は、ベランダに干した洗濯物を裏返しすること、3番目はパソコンでこの文章を書くこと、であった。1つ目と2つ目はクリアしたのだが、この文章を書くために必要とした池澤氏の記事の切り抜きを忘れている。再度往復した。そして、別にどうしても必要というのではないが、携帯の着信チェックをするためにもう一度階下に降り、携帯をとってきた。

14段の急な階段で、なるべく上り下りしないように、と人からは言われる。しかし、平たいところばかりでは、脚の筋肉も衰えるばかりだろう。だからこの階段もいとわないようにしている。
腰をかがめてする必要のあるお風呂やトイレの掃除は、リハビリ(別に病気後ではないが)と自分にいいきかせ、掃除後に腰を伸ばす運動をする。

こんなしみったれた文章は読みたくない、と自分でも思うが、池澤氏の文章の洒脱なこと。
ここにすべてを再現して、読んでいない人に紹介したいところだ。プロの文章というのか、池澤氏なりの文章なのか、ユーモアにあふれて、老いの状態がたのしいものになる。

74歳と2か月の彼は、来年は後期高齢者、その後は晩期高齢者で、やがては末期高齢者、と書いている。後期高齢者は行政用語かもしれないが、あとの2つは作語であろう。

1日1日、1時間1時間、若返ることはない。老いていくのだ。子供には老いていく、という表現は使わない。成長していく、という。いくつから老いていくというのだろう。

何をしてももう生産性と結びつかなくなってしまった。効率は求めず、一つ一つを自分の力で行うことえ、人の時間を使わないようにしているが、それもいつまでのことやら。

池澤氏の記事のタイトルは「老いては若きに席を譲ろう」だが、この席は電車の席ではあってほしくない。いつからかは知らないが、電車にのればすぐに座りたいと思ってしまうようになった。
ほかのところではもうとっくに譲っている。
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