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ある日、工事は突然に

今朝8時頃である。我が家の前に車が2台止まった。1台は軽トラ、もう1台はライトバンだ。
それぞれの車から男性が下りてきて、ずんずん、我が家の庭に入ってくる。庭といっても、道路との境はあっても、門扉などはない。

丁度、2階のベランダに洗濯ものを干していたところだった私は、とりあえず、おはようございます、と声をかけ、ここにいますよ、という合図をする。

彼らは工務店(名前もしらないのだが)の人たちだった。村の古い友人に、ベランダの支柱が1本腐っていることを以前報告し、修理を依頼していた。そのうち、そのうち、というのが知人の返事であったが、知人から工務店へと話しがいっていたらしい。

もうその工務店に依頼することは決まっているようで、支柱の丸太のサイズをはかり、また周囲の横木など、交換すべきもののチェックをする、という。
結局、支柱1本を交換すればいい、という問題では片付かず、支柱は2本、さらに、横木やいろいろ腐食の進んだ部分があることが判明。

家を建てて30年弱たっている。ようこそこれまでベランダが保ったものだと思っていたので、この程度の修理は当然なのだが、常識からいえば、下見をして、見積もりを出し、工事の日を決め、といった順序が当然なのだろうと思うのだが、ここではもう見積もりなしで実施となる。

今日、これから足場を作る人が来ますから、と言われ、管理事務所に報告にいけば、10日から18日までは、いかなる工事も認めないのだという。夏休みで休養に別荘族から、騒音などに文句が出るから、ということ。さて、そういうことなら、7-9日で終わらせなければならない。
ご近所へのご挨拶もしていかなければ、と何が何だかわからないけれど、なすべきことはたくさんある。

一通り、ご挨拶をすませて帰宅すれば、もうベランダの解体は一部すんでいる。「奥さん、2階のベランダは、今しばらく入らないで」と注意がある。

足場を組む場所は、アヤメの咲くところだが、もう葉がしおれて、そろそろ処理せねばと思っているところだから、がまんはできる。
ベランダに伸びた朝顔はあきらめてください、と言われる。

あきらめます。それより、いくらくらい費用がかかりそうですか?と聞きたいが、聞けない。まずは3日間で仕事は終わらせられますか?と聞くのが精いっぱいだった。
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いつも繁盛、美登利寿司

日曜日の昼、赤坂で友人と会うことになった。
彼女は数日前、赤坂に転居してきたのだ。
まだまだ引っ越しの片付けで忙しいというので、彼女の時間を倹約するため、赤坂で会うことにしたのだ。

どこにしよう、と相談をするが、お互い、土地勘は失われている。
彼女の現住所は中国、私は日本だが、地方在住で、赤坂などは東京にきてもあまり足を運ばない。

二人とも知っているところ、それは赤坂であれば、Akasaka Bizにある美登利寿司だ。お昼を一緒にしましょう、と少し早目の11時半に会うことにした。
しかし、日曜日の昼、どのくらいの込み方かわからない。
少し先にいって、予約登録をすることに。

11時ちょっと前に着いたが、美登利寿司の周囲はもう人だかりだ。遅かりし由良助!
すぐに登録したが、21番目という札になってしまう。
周囲を見回すと、外国人も多い。ここはネットでもお勧めの店になっているということだ。

11時からオープンなのか、すぐに予約番号1番から呼び出しがかかる。客席がいくつあるのか、次々と呼び出される人をみると、すぐに入れそうな感じだったが、10番くらいで最初の呼び出しは終了だ。あとは、だれかが出ていくたびに呼ばれることになる。

店の外にある待ち席で友人との会話ははずむ。どうせ、中にはいれても、長く居座れるわけではない。おしゃべりは先にすませておこう、という算段だ。

結局、21番が呼ばれたのは、12時にならんとする時だった。カウンターでも可としていたので、カウンター席に案内される。

女同士の昼、お酒は飲まず、アラカルトの選び方もしない。特上握りセットを注文。

待つに値するおいしさだった。友人は外国住まいで、私は山国住まいで、お寿司には飢えている。
しばし、おしゃべりは中断、と言いたいが、そこは姦しいには一人たりないが、しっかりおしゃべりを続けながら、お寿司を平らげた。

1時間ほどかかったけれど、店をでると、まだまだ行列は続いている。この店、閑古鳥が鳴くことはあるのだろうか?
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ALSで逝った友を思う

今回の参院議員選挙では驚きがたくさんあった。
まずは、れいわ新撰組とN国なる政党の存在である。

ネットで情報を仕入れることはしないので、新聞やテレビというマスメディアに依存している私にとって、結果がでて初めてその存在を意識したのである。

特に、れいわ新撰組の比例代表で選ばれた2人の候補者が、いずれも重度の障碍者であったこと、そしてその一人がALSの患者であったことは、いわばショックだった。

ALSという難病、ずいぶん昔から知っている。というのは、1994年、43歳の若さで亡くなった友人が、まさにこのALSにかかり、その病気がゆえに亡くなったからだ。
ALSは、この友人がかかったからこそ知った。そしてその病気は当時あまり知られていなかったので、彼の言葉で言うならば、「宝くじの1等に当たったようなものですよ」だったが、その後、有名人にも患者がいて、けっこう罹病率が高いことを知った。

この頃お知り合いになった同じ村の友人のご主人もALS患者だったとか。

友人は、頭もよければスポーツもする、健康そのものの人だった。ただ、酒飲みなのが欠点だったが、慶応病院でALSという診断が出たとき、飲酒との因果関係はない、と言われたそうだ。原因不明なんです、となんとも無念そうな、納得いかない表情だった。

自宅での療養になったとき、病気を知ってのちの最初で最後のお見舞いに行ったのだが、会話はできず、奥様が示される五十音表だったか、アルファベット表だったか、それを目で追うというスタイルで会話をすすめたのだった。

どういう治療がなされたのか、私は知らない。しかし、ips細胞を利用した治療法も研究されているとか。

この参議院議員にえらばれた方が罹病されて何年たつのか、まだ彼のプロフィルを調べていないけれど、もし、友人がまだ存命中であれば、どんなにかはげみになっただろうに、と思わずにはいられない。

「頭のいい人がかかる病気なのかも」と言った私に、「そうとでも思いますか」と自らを慰めた風に言っていた。アメリカでは昔のプロ野球選手がかかったことで、ゲーリック病?ともいわれるのだとか。

友人は結局、自宅で療養を始めて、そのまま亡くなってしまったけれど、この参議院議員のように、外に出ることができれば、どんなによかっただろう。
彼も最後まで頭脳は明晰で、仕事を続けていたということだが、こうして、外にも出て活動まではできなかった。

今でも、ALSにかかる原因はわからないのだそうだ。だからこそ、治療法も確定していないのだろう。ただ、進行を遅らせることしかできないらしい。

どうか、この議員が、任期を全うし、その任期中に彼が実現したいと思っている政策が現実のものとなりますように。

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