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塚田「忖度」発言分析

忖度という言葉、こういう風に使います、と政治家が例を示してくれた。

塚田国交副大臣の発言、最初から問題部分をあげてみる。

1)麻生太郎(副総理)命、一筋でやってきた。
2)かわいい弟分の大家敏志参院議員が
3)渡世の義理
4)麻生派は渡世の義理だけで生きています。
5)やせ我慢の団体
6)下関北九州道路(中略)何とかせにゃならん
7)下関と北九州ですよ。よく考えてください。下関はだれの地盤ですか。安倍晋三総理です。総理から麻生副総理の地元でもある北九州への道路事業が止まっている。
8)吉田幹事長が(中略)「塚田わかっているな、これは総理の地元と副総理の地元の事業なんだよ」と。
9)すぐ忖度します。
10)そりゃ総理とか副総理がそんなこと言えません。そんなこと実際ないんですよ、森友とか、いろいろ言われてますけど。でも私は忖度します。
11)この事業を再スタートするには、いったん国で調査をひきとらせていただく、と。今回の新年度の予算で、国で直轄の蝶さ計画に引き上げました。
12)別に知事に頼まれたからやったわけじゃないですよ。大家敏志が言ってきた、そして私が忖度した、ということですので。

発言のほとんどが問題を含んでいる。


北九州は、無法松の一生でもわかるように、気の荒い、侠気の人間が多いところだ。といって、やくざのような、命とか、一筋、といった表現が今も通用するのだろうか。
弟分、渡世の義理、麻生派はやくざの集団とでも言っているようだ。
こういう発言、警察から文句はでないのだろうか。

塚田氏は、最初、間違った表現をした、と言いながら、どこの部分が間違っているという細かいことは言っていない。
おそらくは、吉田参院幹事長と大家議員が「よろしく頼む」と案件を示しながら依頼していったことを間違いと言っているのだろうが。

しかし、現職知事に、麻生氏が支援する候補がいて、そこに好都合なことに麻生派に属する国交副大臣がいる、となれば、この道路計画が利益誘導そのものであることは、この会に出席したものはわかっている。

先日、久しぶりに東海道新幹線に乗った。ひかりに乗車したのだが、やたらと止まる。岐阜羽島で止まった時、そういえば、この駅は大野伴睦が強引に作ったはずだ、駅前の銅像はまだあるのだろうか、と思ったところだった。

九州では、わがふるさとの県に、古賀誠氏のおかげでかけられたというまこと橋があったり、九州新幹線では、鳥栖―久留米-柳川と、やたらと駅があるのも政治家(だれと言わないが)の力といわれているし、などと、思い返す。

国語の試験などで、忖度という言葉を使って作文を、と言われると、これはとても好例になるのだろう。
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年号について思うこと

毎日、平成最後のなんとか、という言葉を聞いている。時には、新しい時代が、もっといいものであることを願っている、なんてことを平気で口に出される人もいる。

今上天皇が言われるように、平成は戦争(直接的な)がなかったという、たぐいまれな時代であったのに、自然災害が多かった、というので、それが平成の特徴ととらえている人も多いのだ。

私はそもそも年号廃止論者なので、どんな年号になろうと、カンケイナイ、と思ってもいるのだが、日本にいる限り、日本人でいる限り、そうとも言えないのはわかっている。
平成何年になるのか、忘れてしまったが、外国にいたつれあいから、婚姻届けが送ってきた。それを東京、私が住んでいる区の区役所に提出して婚姻成立となるので、証人になってくれる友人と一緒に区役所に出かけた。

つれあいからの婚姻届けには、平成という表記のままであったはずだが、友人と私は年号否定の思想を持っているので、それを西暦に書き換えていた。
区役所の担当者がこれでは受け付けられない、と受け取りを拒否した。
友人と私は、主義を貫くか(婚姻をしない)、妥協するか、いったん外にでて相談したが、これを決めるのは私自身であって、友人ではない。結局は妥協した。

日本の役所へ提出する書類が、必ず年号であることは、それ以来、身に染みた。
その後、免許証でもそうだが、裁判所関係で仕事をしていたとき、また遺言書を書いたとき、それの最期に日付けを西暦でいれたら、弁護士から叱られた。その弁護士いわく、共産党の弁護士だって年号で書くのだと。

もうそのころは抵抗をあきらめていたので、すんなりと年号を書き込んでいたものだ。

昭和は生まれたときからそれだったから、好き嫌いを言えなかったが、平成に変わった時、これだけ影響のあるものを、上から押し付けの形で決めていくのだな、と思った。
平成と発表があって、すぐにフランスの友人に電話した。日本語がわかる友人だったが、平と成を別々に説明となると、あわてていたこともあるし、難しかった。平成も、出典などわからないうちに電話したので、説明に窮した記憶がある。

令和、これは英語ではBeautiful Harmonyと説明するのだそうだ。
令については、好意的な人と、高圧的と嫌う人がいるとか。私は後者だ。
命令、令状、法令、号令、なんだか上から目線を感じる。よい、という意味もあるそうだ。また尊敬して、その身内を言う、たとえば令夫人、令状、令息、令室、令兄、令姉などがあるわけだが、これについても、なんだかいやな気分がある。

つれあいの関係で、ちょっと公式な招待状などいただくことがあったけれど、つれあいの名前のそばに令夫人とあるだけだ。私の名前はない。個性もなにも必要としない令夫人ですむ。
これが私が主人公で、つれあいが付属であるとき、令夫とついてくることはない。

明治以来、字画が少ない漢字というのも、書きやすいという利点はあるけれど、なんだか軽い。
引用された万葉集の梅の和歌の序文というのなら、淑という漢字もあった、令淑でもよかったのでは?と思う次第である。

年号は天皇のおくり名にもなるのだろう。今上天皇はいつか平成天皇と呼ばれ、これから即位される皇太子も令和天皇となられるのか。

令和の次の年号まで生きているのかどうかはわからないが、昭和、平成、令和と3代は生きていくのだろう。
母は大正元年の生まれだった。大正、昭和、平成と3代を生きた。つれあいは昭和、平成の2代で終わった。100歳をこえた110歳以上の方だったか、明治、大正、昭和、平成から令和までの5代をいきようとする人もいるらしい。
数字に弱い人間だから、またまた西暦と年号で苦労しそうだ。

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オレオレ詐欺(?)を体験?

大阪の知人宅でのことだ。知人は90歳の高齢、一人住まいときている。

とてもよく電話はかかってくる。同人誌などにも関係しているので、そういう関係者からの電話、また友人、知人からの電話、女性・高齢者とくると、電話は長い。

電話にでるのに、すごく時間がかかる。傍に子機がおいてあるのに、わざわざ椅子から立ち上がり、よこらしょと歩いて親機までたどりつく。なぜ、子機をお使いにならないのですか?と尋ねると、だいたいが、長い電話になるから、電池がきれるのが心配だから、とのこと。

さて、電話が鳴った。ちょっと出てよ、と私に言われる。つなぎで出ましょう、と交換手になった気分ででる。
若い男性の声だ。「○○おばあちゃん?」と問うてくる。名前はあたっているので、孫か、親しい関係者かと思う。

「いえ、東京からきたものですが(一応名前は名乗った)、どちらさまですか?」と問い返すと、
孫の一人です、との返事。
知人に孫は数人いる。ただ、男の孫は一人きりだ。孫の一人、という表現は間違いではないけれど、そんな言い方をするものだろうか。私は男の孫の名前をきちんと憶えていない。

お孫さんとおっしゃっています。○○おばあちゃん、とおっしゃっていますが、と、知人に受話器を渡す。
えー、あの子は○○おばあちゃん、なんて言いはしないけど、と知人が受話器にもしもしというと、電話は切れていた。

これはおかしい、孫に電話して確かめよう、と携帯に電話すると、つながらない。
それならば、と孫の母親にかけてみる。電話番号を探したりするのに、ちょっと時間がかかった。

孫の母親、つまりお嫁さんに電話をすると、今、息子から電話があって、おばあ様から電話があったけど、とれなかった、と言っていました、なにか御用だったのでしょうか?という。

これがオレオレ詐欺の電話なんだ、と理解した。

知人が直接、電話に出ても、きっと詐欺にはあわないだろう。孫からおばあちゃんと呼ばれることはないし、何か用事があれば、母親経由であるという。

知人と私の声の質はまったく異なる。知人は完全な関西アクセントであるし、こちらは東京アクセント(もどき)、それにトーンも違う。
祖母の声に慣れているのなら、最初に電話口にでた私におばあちゃんというのもおかしい。

それでもなぜ○○という名前はわかっていたのだろう。

知人は、この界隈の名簿が流れているらしい。そして先日、500万だまし取られた老女がいるのだとか。

世にオレオレ詐欺やアポ電話なるものがあるとは聞くけれど、らしいものに直に接したのは初めてであった。
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