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お坊さん、なかりせば(ミャンマー見聞録7)

ミャンマーで一番、目につくのはお坊さんである。
僧衣をまとっているからでもあるが、まずは数が半端ない。

僧侶はみな、剃髪し、黄色か赤のあせたような色の僧衣をまとっている。
この僧衣は、位の高い、低いを問わず、みな同じものをまとっているらしい。

パヤー(パゴダのこと)ではたくさんの僧を見かけるけれど、ミャンマーではお寺に僧が常住しているわけではない。僧院が別にあり、そこでお経の勉強をし、寝泊まりする、そんなシステムになっているという。

とても民主的な制度だ。もちろん、起居している場所をみたわけではないが、たとえば、食事などは、みな、同じものを食べるのだという。それも寄進されたものだ。

小乗仏教がどんなものか、どんな教えなのかを知らないが、日本の仏教、お寺などに比べて、とても民主的にみえる。

タイと同じように、男子は若い間に(少年時代)に必ず出家するのだそうだ。私は数年間なのか、と思ったのだが、夏休みの数週間というのもありだという。
必ず、剃髪し、僧衣をまとい、お経を学び、と、僧侶と同じ生活をするのだ。

チャイティーヨー・パヤー(ゴールデン・ロック)では、尼僧の集団にも出会った。彼女らはピンクの僧衣をまとっていた。

ミャンマーの総人口のうちに、お坊さんが占める割合はわからないが、あれだけ、目にするということは、結構な割合で存在しているようにみえる。

ミャンマーの人たちがとても穏やかで優しいのは、仏教の存在が大きいとは思うのだが、これだけ、僧侶の人口があるというのは、経済面ではどんなだろう、と思ったりした。
信仰が厚く、僧侶や寺院への寄進にお金を惜しまない?のを責める気持ちはない、やっぱり少しあるのだろう。

たとえば、各所に金ぴかのパヤーがある。金箔が貼ってあるのだとか。そしてヤンゴンのあの有名なシェダゴォン・パヤーなど、ここで金箔を寄進すれば、すべての罪が許される、というような言われでもあるのか、と思うほど、高額な、大きい金箔を寄進するひと、また小さな金箔を寄進する人、大勢の人が寄進の列を作っている。

ゴールデンロックでも、男性は自分で岩に金箔をはることができるから、いさんで金箔を買い求めている。それがいくらか、価格は知らないのだが、寺院に費やされる金額は相当なものだろう。

人的、金銭的奉仕を、もし、実経済に向けたら、ミャンマー経済ももうちょっと上昇しはしないか、と即物的生活を送っている私は思ったものである。

しかし、檀家制度がない、菩提寺がない、寄進は信者の気持ちのまま、というのは、なかなか清々しいものである。

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