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フェアートレード(ミャンマー見聞録9)

ミャンマーからのお土産を配っている。といっても、大したものは買ってこなかった。
買い物大好きな人間だから、民族性のあるものをたくさん買うつもりで出かけたのだが、買う気がでなかった。

今、配っているのは、畳表で作った帽子である。折り畳みができる。
この帽子は、もう前に、ミャンマーへ行った友人から、その友人が使い切って、捨てるというのをもらい受けていたことがある。6つの部分をつなぎ合わせ、軽く、かぶり心地がいい。
夏の農作業に好適品なのだ。おまけに友人からきいたところによると、とても安価だ。

ミャンマーに着いて、これを早速探し始めた。どこにも売っているわよ、という友人のことばだったが、ヤンゴンではそう簡単にみつからない。
地方の観光スポットにあった。実際、とてもお安い。早速お買い上げだ。

ところが、最期のころに訪れた観光地では、そのときの2分の1の価格で売っていた。
再度買い求める。

さて、損したのか、得したのか。

2倍の値段でかったときも、安いと思っていたのだから、得したに決まっているのだが、ここまで待てばよかったという気持ちにもなる。

ミャンマーは漆製品でも有名だ。母が漆器が大好きだったので、私も好きになった。
これも買いたいものの一つであった。のだが、買わなかった。

インレー湖でみた、蓮の繊維を使ったショール、これも心惹かれたけれど、買わなかった。

漆器もショールももう使わないからだ。

ミャンマーに限らず、開発途上国での製品を買う時、その価格の安さにびっくりしながら、最期にはその価格を当然のものとして、高いの安いの、と値引き交渉をする。

労働にみあった価格を、という気持ちと、その土地のものだから、という賃金の安さを是認する気持ちになってしまう自分がこわい。

この夏、この村ではミャンマー製の帽子をかぶって、野外作業をする女性がみられるだろう。
それがミャンマーの帽子産業の底上げをしたとはいえないのだが。

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深刻な汚染問題(ミャンマー見聞録8)

ミャンマー第二の都市、マンダレーに近いアマラプラに行ったときのことだ。
この町はマンダレーから11キロほど、空港について、最初の観光をすることになった。

エーヤワディー川とタウンタマン湖に挟まれるようにある。160年前に架けられたウー・ベイン橋という写真うつりのいい場所がある、というので案内された。

この町は、織物と染色で有名なのだそうだ。町にはいると、湖畔なのか、河畔なのか、判断できかねるのだが、染色済みの糸がたくさんかけられている。
布好きな私としては、気になる場所である。

染色のための染料をいれた甕などをならべた人家もあり、それに機織りをしているのか、カタンカタンという音も聞こえる。

しかし、道路の周囲、つまりは川岸などは、マイクロプラスティック状態になったごみであふれている。
これは何なの?とガイドさんに聞くけれど、ガイドさんも困っている。

結局、水際だからこういうごみが集まってしまうのだろうか。

染色の状態を見たくて、車を止めてもらおうと思ったのだが、このごみをみて、もう脚を踏み入れる気分にはなれなかった。

この町が見た中では最悪だったが、地方に行くと、道路際にプラスティックごみが散乱している光景はざらである。

インレー湖なども、船着き場周辺、そして浮島の周辺にはごみがたまっている。

ごみの処理まで行政の力が及ばないのも理解ができるけれど、こんな状態でいたら、ミャンマーの自然はどうなるのだろう。

プラスティックは安価で便利だ。だから、開発途上国で利用が進んでいるのは理解できる。しかし、それが自然を破壊するのであれば。難しい問題だ。
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お坊さん、なかりせば(ミャンマー見聞録7)

ミャンマーで一番、目につくのはお坊さんである。
僧衣をまとっているからでもあるが、まずは数が半端ない。

僧侶はみな、剃髪し、黄色か赤のあせたような色の僧衣をまとっている。
この僧衣は、位の高い、低いを問わず、みな同じものをまとっているらしい。

パヤー(パゴダのこと)ではたくさんの僧を見かけるけれど、ミャンマーではお寺に僧が常住しているわけではない。僧院が別にあり、そこでお経の勉強をし、寝泊まりする、そんなシステムになっているという。

とても民主的な制度だ。もちろん、起居している場所をみたわけではないが、たとえば、食事などは、みな、同じものを食べるのだという。それも寄進されたものだ。

小乗仏教がどんなものか、どんな教えなのかを知らないが、日本の仏教、お寺などに比べて、とても民主的にみえる。

タイと同じように、男子は若い間に(少年時代)に必ず出家するのだそうだ。私は数年間なのか、と思ったのだが、夏休みの数週間というのもありだという。
必ず、剃髪し、僧衣をまとい、お経を学び、と、僧侶と同じ生活をするのだ。

チャイティーヨー・パヤー(ゴールデン・ロック)では、尼僧の集団にも出会った。彼女らはピンクの僧衣をまとっていた。

ミャンマーの総人口のうちに、お坊さんが占める割合はわからないが、あれだけ、目にするということは、結構な割合で存在しているようにみえる。

ミャンマーの人たちがとても穏やかで優しいのは、仏教の存在が大きいとは思うのだが、これだけ、僧侶の人口があるというのは、経済面ではどんなだろう、と思ったりした。
信仰が厚く、僧侶や寺院への寄進にお金を惜しまない?のを責める気持ちはない、やっぱり少しあるのだろう。

たとえば、各所に金ぴかのパヤーがある。金箔が貼ってあるのだとか。そしてヤンゴンのあの有名なシェダゴォン・パヤーなど、ここで金箔を寄進すれば、すべての罪が許される、というような言われでもあるのか、と思うほど、高額な、大きい金箔を寄進するひと、また小さな金箔を寄進する人、大勢の人が寄進の列を作っている。

ゴールデンロックでも、男性は自分で岩に金箔をはることができるから、いさんで金箔を買い求めている。それがいくらか、価格は知らないのだが、寺院に費やされる金額は相当なものだろう。

人的、金銭的奉仕を、もし、実経済に向けたら、ミャンマー経済ももうちょっと上昇しはしないか、と即物的生活を送っている私は思ったものである。

しかし、檀家制度がない、菩提寺がない、寄進は信者の気持ちのまま、というのは、なかなか清々しいものである。

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ミャンマーの水事情(見聞録5)

開発途上国では、水が食べ物以上に問題だ。
この頃は、どこでも飲み水に関しては、ボトル入りの水が飲料水として用意されているから、その点では問題がなくなってきたけれど。

ミャンマーは私にとって、未知の国、さてどうなのだろう。

案の定、ホテルにはいれば、部屋にボトルが2本、湯沸かしポットのところに1本、冷蔵庫に1本はいっていた。飛行機の中から、念のためにもちこんだ1本は余計になったけれど、水はなるべく手元にたくさんあったほうがいい。

翌日は、ガイドさんとヤンゴン見物。車の運転手さんが、冷蔵ボックスから冷えたボトルを1本出してくれる。バッグの中には飛行機からの1本をしのばせていたのだが、いらなかった。

町中を見物しながら、住民の生活について質問をする。住宅地を走っているとき、あちこちに水ガメがあるのを視認する。コップも添えられている。
飲料水?と問うと、そうだとのこと。だれでも、飲みたいときに飲めるのだそうだ。
清潔度はどうなの?私も飲めますか?と聞くと、それはおすすめしませんという返事。

都心の住宅だけれど、上水道が完備している建物ばかりではなく、上水道だから飲めるわけでもない。
そういえば、プラスティックの容器にはいった水を売る少年たちを、BSの放送でみたっけ、と思い出す。
それでも、ヤンゴンなどはよい。水に困ることはないだろう。大きな湖も市内にあるし、東南アジアだから雨季もあって、貯水池などもあるのではないか、と思うけれど、水があっても安心していられない。

アフリカにいたとき、世界3大河川の一つのすぐそばに住んでいたが、上水道の浄化剤がなくなった、と何日も断水することもあった。

田舎にいけば、水など、個人で調達するものかもしれない。川のそばに住んでいれば、自分で汲んでくるということになるのだろうし、水の状態がどんなであろうと、自分の判断で使うことになる。
ろ過装置など、きっと高価な装置ということになるのだろう。

インレー湖に行ったとき、20いくつの川が流れ込んでいる、という話だったが、その川の水が、すべて何かに利用されたあとに流入しているのだとすれば、農薬も、石鹸も、人間の排せつ物も、なにもかもが流入しているに違いない。

近代化というのは、清潔な水を常時得られるかどうか、が一つの判断材料だけれど、ミャンマーはまだまだのようだ。

ガイドさんの家(アパートメント)には、水はきているが、温水はないとか。シャワーは水のみだという。

都市部と田舎の差も大きい。上澄みだけをのぞき見する観光旅行だけれど、おなかをこわすことなく、旅行を完遂するには、水事情を知っておくことは大切だ。
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タナカでミャンマー美人にへんしーん

ミャンマーでよく耳にする言葉、タナカは日本の人名にも相当するので、すぐに覚える。発音はちょっと違うらしいが、日本風にタナカと言ってもわかってもらえる。

これは人の名前ではなく、化粧品の名前だ。ミカン科の樹木の樹皮の部分をすりおろし、それに水分を加えて、顔に塗る。

化粧品とも言えず、薬品とも言えない。顔に塗るのだが、日焼け止め、虫よけ、皮膚のデリケートな子供などに使われる。

ミャンマーの女性の90%はつけているし、子どもは男女を問わず顔にぬっている。
単にほっぺたにつけただけの人もいるが、渦巻き状につけた人、葉っぱの葉脈まで書いた人、各人各様、おしゃれの一つになっている。

これは東南アジアでみられるだろうか。去年ラオスを旅行してけれど、記憶はすっぽり抜けている。タイでも見た記憶はない。
ミャンマーだけの化粧法か?いつ頃からこのタナカをつけているのか?

私もつけてみた。マーケットには必ず、タナカを売っているお店がある。地方のマーケットで、おばさんがちょっとつけてみなよ、みたいな声をかけてくる。買う気はないんだけど、とガイドさんにつぶやくと、買わなくてもいいんですよ、と言ってくれる。

タナカの木をすりおろしてではなく、携帯用の粉がはいった容器に、ボトルの水をちょっと垂らして練ったものを、私の顔にすりこんでいく。
すぐに真っ白にはならない。水分がとんで、乾燥して、白い粉がふいてくる。

おばさんが大きい声で何か言っている。ガイドさんが、「美人だね、似合うよ、ミャンマー人になれるよ」と言っていますと通訳してくれる。
ガイドさんに写真を撮ってもらって、それをみると、いや、なかなか似合っている。しっくりくる。

そのおばさんからは買わなかったけれど、日本に帰って、庭仕事などをするとき、日焼け止めとして使おうと、買う気まんまんだったのだが、ついチャンスを失った。
ミャンマー美人に生まれ変わるチャンスだったのだが。

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犬がうろうろ(ミャンマー見聞録6)

私はあまり動物が好きではない。例外は、ある一定の人間と、我が家に寄ってくる野鳥の数種だけだ。
特に、ペットになる動物については、偏見すら持っている。

そんな私がミャンマーでみたのは、放し飼いの犬たちである。まずはヤンゴンの町中で、犬がうろうろしている。野良犬か?と思う。首輪がないし、したがってリードもついていない。でも雰囲気的には野良犬ではなさそうだ。
なんせ、のんびりしている。暑い国のせいだろうか、動きがゆったりだ。

ほとんどが日中のせいか、地面にねそべっているし、ときたま起き上がって、のろのろとその辺を動き回っている。

マンダレーの近く、アマラプラというところのウー・ペイン橋にいったときのことである。タウンタマン湖にかけられたチーク材のこの橋は、写真写りがいい、というので、案内された。1,2キロにも及ぶ木製の橋、なかなか情緒があって、ゆったりした気持ちになれる。途中には休憩所というのか、屋根がかけられた部分もあって、1,2キロを渡ることはしないが、そこまでを歩いていく。

歩行者だけが渡れる橋だから、幅がひろくはないが、物乞いをする人もいる。そこに、お犬様がべったりと寝ている。橋のふもとにも数匹いたし、犬にかまれた経験をもつ私は恐怖感をもってしまう。

総じておとなしいけれど、やっぱりメス犬は、出産後は神経質になるし、また予防注射などはないので、狂犬病やその他の皮膚病など、病気持ちの犬は多い、とガイドさんが説明する。

私たちが歩きだしたとき、お休み中の犬がむっくりと起きだした。そして、まるで我々を先導するように前を歩く。写真をとるために立ち止まると、犬も歩くのをやめる。
まるで、ガイドしてくれているみたいね、とガイドさんに言うと、本当にそうですね、と同感している。

さて、我々、物乞いをしている人には、ミャンマーの少額紙幣を用意しているけれど、犬については何の準備もない。
休憩所で少し座って話していると、寝そべって話を聞いている。日本語で話しているのよ、ミャンマー語ではないのよ、というが、知らんふりだ。

さあ、戻りましょう、と立ち上がると、その犬も起きて、また先導だ。寝そべっているとき、よく見ると、毛がまだらで、皮膚病にかかっているようだ。
そんな薬はないし、飼い主が面倒みないのかしら、かわいそうに、と思いはするが、それ以上ではない。
橋をもどったところで、彼女(乳房がたれていた)は、このツーリスト、なにもしてくれない、とでもいっているのか、ちょっと声をだして、仲間に合流した。

どこかの僧院では数匹(けっこう多かった)の犬たちが、道路にべったりと寝そべっている。町の喧噪のなかではないし、あなたたち、環境のいいところにいるのね、と思う。僧院であれば、食べるものにも不自由はしないだろう。犬のエリートなのかもしれない。

ミャンマーでみた犬の種類はわからない。しかし、テリアとかなんとか、というようなしゃれた犬ではなく、ごくふつうの、日本でいえばなんなのだろう、おそらくは雑種なのだろうが、中型犬ばかりだった。

きっと飼い主はいるのだろう。どこかでエサをもらい、夜の寝る場所はあるのだろう。しかし、ああも自由に動いている犬をみると、自由でいいなーとも思う。

以前にいたアフリカでは、犬をみることは少なかった。犬はおそらく原住民(犬)ではなく、西欧からつれてきたものだろうし、食料にされる可能性もある。ペットとしての存在があるというのは、生活に余裕がある、ということでもある。

ミャンマーはその中間点なのだろう。

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若い人の国(ミャンマー見聞録5)

限界集落に近いところに住んでいるせいだろうか、ミャンマーに着いて、周囲にいる人たちが、やけに若いことに気づいた。

ヤンゴンはさすがに人口が多く、多種多様の年齢層がいそうだったが、それでも20代と思われる人たちが大多数を占めている。

表面だけかもしれないが、地方にでて、レストランやレストハウスのようなところで、まだ高校生というような若い男女が働いている。

年齢構成などをきちんと統計で調べた話ではなく、表面的な印象の話ではあるが、おそらく、ミャンマーの寿命は長くないのだろう。医療も生活条件も、遅れた状態にある。

若いマンパワーをふんだんに使える国、うらやましかった。しかし、それは子供でも働かなければならないという、貧しさも隠れている。

ゴールデンロックへ行く途中に寄ったレストハウスでは、小柄な、私の目には、高校生にもなっていないような若い人がきびきびと働いていた。
ミャンマーの人は、日本人に比べると身長が低いけれど、本当に細身であった。
部族の違いもありますから、というのが、ガイドさんの説明ではあったけれど。

ウェイターやウェイトレスの仕事を何年くらいするのだろう。
ガイドさんによれば、こういう仕事を数年して、いくばくかのお金をため、外国で働くことが彼らの夢なのだという。タイが一番身近な国だとか。
日本は憧れだが、ハードルが高い、とのこと。

ミャンマーの産業構成がどうなっているのか、第一次や第二次産業については何も知らず、サービス産業にだけの接触だが、ITなどの取り込みは進んでいそうだ。

政治の制度がなかなか民主化されないがための制約も多く、成長の速度も今一かもしれないが、あの若い力は頼もしい。
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究極のエコ生活(見聞録3)

水上生活者は、東南アジアでは別に特別なものではない。河川、湖、海、水辺にはなんらかの生活者がいる。
今回見たミャンマー、インレー湖はそのエコぶりが際立っていた。

考えてみると、自分の生活範囲に、必要なものがそろっていれば、一番便利な生活といっていい。
そういう意味でみれば、インレー湖の人々は、そんな生活を送っている。

家は、竹やヤシの葉で作られている。竹もヤシも近間ですぐに手にはいる。
水辺でから、高床式に建てられ、風通しはいい。

飲料水を除けば、水は周囲に余るほどにある。その清潔度は現在は落ちているが、これだけの人口密度でなかった時代は、それなりによかったのだろう。
水浴、洗濯、食器洗い、すべてに湖水を利用できる。

熱源は?は確認できないが、おそらくは七輪のようなもので、簡単に火をつかっていたことは想像できる。
移動は、小さな手漕ぎのボートがあればいいのだろう。今では、長いボートに発動機がついているけれど、手漕ぎであれば、エンジンも燃料もいらない。

こんな生活でよし、とすれば、ほとんどにお金というものがいらない。米は浮島ではできないだろうが、野菜はできる。米は陸地部分から入手し、湖で魚をとり、もしかしたら鳥なども捕獲していたのかもしれない。


そこに、現在の生活を移せば、この水上生活は最貧の生活となる。家はほったて小屋、トイレもない、いわゆる保存のきくものが何もない生活だ。
結局、意識の問題ともなるのだろうが、もし、彼らがそれでいい、としているのなら、こんなにシンプルな生活はない。

ミャンマーは貧しい国だ。最貧国の一つに数えられている。首都やヤンゴンなどでは都会らしい華やぎがあるけれど、その外に出れば、あかりもない、お寺や僧院を除けば、建物らしいものがない。1日で建てられ、1日で壊すことのできる、そんな家しかない。
しかし、それを不幸と思わなければ、別に貧しい生活ではない。

私にはできないけれど、土間に竹製の椅子にのんびり座っている人をみると、それこそ、幸せってなんだろう、と考えるのである。

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ミャンマー見聞録(1)

基礎知識のないミャンマーへの旅だったが、いろいろ見聞することができた。
おやっと思ったことを書き記していきたい。

まずは私の最大の関心事、トイレである。
旅行にでると、トイレは苦労の種だ。それが先進国でも、なかなかトイレがみつからないとか、鍵がかかっているとか、不自由するのがつねである。
開発途上国では、それに衛生面がひっかかってくる。

東南アジアのトイレは、シャワー付きが多い。ペーパーはどちらかといえば、あとからついてきたものだ。だから、時々、ペーパーのないトイレもある。シャワーがついているから、洗うことはできるのだが、そのあとの水分を拭き取ることができない、となると、下着が濡れて、どうも感触が悪い。漏らしたような感覚だ。
拭いたあとの紙を便器に捨てないのも共通している。そばに大きなごみ箱があり、そこに捨てる。
それも理解している。しかし、つい、というのがある。

トイレにはいると、まず、シャワーがあるかどうか、ペーパーがついているかどうか、を確認する。そしてごみ箱の位置。そのあと、おもむろに用をたす。
シャワーで洗い、紙で拭く。そこまではいいのだが、無意識に拭いたあと、そのまま捨ててしまうのだ。何度も、しまった!ということになる。

シャワーを使うということは、水があることだ。もちろん、水洗の水もあるのだが、床が濡れていたり、まわりに水分が多い。汚れる可能性もたかいのだ。

ガイドさんがなるべくトイレのきれいなところを選んでくれたけれど、それでも田舎ではちょっと使うには、と思うものが多い。
あるお寺では、和式というのか、しゃがんで使うトイレしかなかった。一回しゃがめば、再び起き上がれない私は、そのトイレは使うことができなかった。
我慢する能力も旅行中は必要とする。

東南アジアでは、ホテルでも流さないのが原則だ。日本がむしろ例外なのかもしれない。
ギリシャでも、流してはいけなかった。

しかし、この使用済みの紙、どういうふうに処理しているのだろう。焼却なのだろうが、ほかのものと一緒にしているのか、毎日、収集されているのか、その後を想像する。

トイレで流す水にしても、下水道というのがあるのか、田舎でも水洗式になっているが、その辺がはっきりしない。

旅行中、粗相することなくすんでほっとしている。

ミャンマーで清潔さで推薦したいのは、1)チャイティーヨーにあるホテル、2)そこへの途中にあるレストラン(ダルマ印)のトイレ、である。

トイレに行く頻度や、規則性のなさを考えると、開発途上国への旅行は控えた方がいいのかもしれない。

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「埴生の宿」だった「ビルマの竪琴」の歌

またやってしまった思い込み、ビルマの竪琴で歌われた歌は、「ふるさと」ではなく「埴生の宿」だった。

姉から電話があった。帰国を確認するためだ。早速、日本人墓地へ行き、水島上等兵のモデルとなった方の墓碑にお参りしたことを報告した。ガイドさんと「ふるさと」を墓碑の前で歌ったことももちろん話す。

姉が言う、「捕虜収容所でお別れにうたったのは、ふるさとじゃないわよ。埴生の宿よ」
えっー!そんな、あなたは「ふるさと」って言ったじゃない、というと、「ふるさと」って一人で言ってたのはあなたよ、とのこと。

なんてことだろう。私はてっきり「ふるさと」と思い込んでいた。外国にいるとき、「ふるさと」はなぐさめでもあり、郷愁をさそう最高の歌だった。
姉は、昨日もUチューブで、「ビルマの竪琴」捕虜収容所の場面をバックに、「埴生の宿」を歌ったのだそうだ。

そういえば、かすかに記憶があある。水島上等兵が、捕虜収容所での生活をみじめなものでないように、合唱団に作り上げるのだ。
歌詞も、埴生の宿、英語であればHome sweet homeで、歌詞の最初は、There is no place like home だったっけ。

この歌も家族でよく歌った。母や長姉がアルトのパートをうたって、なかなかいいハーモニーになっていた。

これは困ったことになった。ガイドさんに訂正をいれなければ、彼女が恥をかくことになる。

今の記憶は危ういものが多いけれど、昔の記憶は確か、と思っていたけれど、なんのことはない。記憶というより、思い込みであった。
これは一度、映画を見直す必要がありそうだ。
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