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死者の日

10月31日のハロウィン、都会、特に東京の渋谷では予想以上の騒ぎになったようだ。
私の若いころは、ハロウィンは流行していなかった。アメリカ旅行をしたとき、ちょうどこの日にあたったらしい、空港の人たちがハロウィンの仮装をしていたのだが、その意味がわからず、まわりの人に聞いて、ようやく理解したのだった。

今では、幼稚園、それも地方の幼稚園ですら、仮装をしたり、おやつがハロウィンモードになっているらしい。わが村の保育園のおやつを作っている友人、丁度行き合わせた私にもそのおやつのおすそわけに与かったのだが、子供用には、これは星キラキラをつけるのよ、と差別待遇されたのだった。

フランスでも、この頃は、学校行事を、母の日や父の日のかわりにハロウィンで代行するのだとか。なぜなら、母や父とすると、いない子もいるし、母二人、父2人の家庭も存在するから、というのを聞いて、現代だな、と感じたことだった。

今日、パリの知人から長いメイルが届いた。亡くなったパリの父母の友人である。住居が近く、教会も同じ、私も顔見知りになって、昨年はたびたびお茶に招かれたりしていた。

ご主人の体調が以前から悪く、相変わらずの生活だけれど、夏は3か月、サヴォワ地方ですごしたのだとか。

11月1日は、フランスではトゥッサン(諸聖人の祝日)という国家の祝日だ。キリスト教、あるいはそれ以外のすべての聖人をお祝いする。
そして11月2日は死者の日。亡くなった人たちに思いを寄せる日だ。お墓参りしたり、教会で祈ったり、それぞれに死者を偲ぶ。

彼女はメイルの中で、亡くなった代父、代母のことに触れていた。
このところ、ずっと亡くなったひとたちのことを思い出している。まずは連れ合い、紅葉をみては、ともにこの景色をみたのは3年前が最後だった、とか、彼が植えたカエデ数本がずいぶん大きくなって、見事に紅葉したことなど、だれにいうこともできないので、写真も前でつぶやくだけだが。

昨年の今頃、パリの父はまだ生存していた。一人でくらす私を心配して、パリに来なさい、と震える手でかいた手紙をよこしていた。
葉っぱのフレディではないけれど、一葉が落ちるたびに、人の命が失われているような気になる。

もし、ハロウィンから2日後が死者の日と知っているなら、渋谷の騒ぎもあんなにひどいものではなくなるかも、と思うのは、年配者だけの気持ちだろうか。
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