SSブログ

ヴェジタリアンでいること

フランスからきた甥の妻はヴェジタリアンだった。亡き父の88歳の誕生日に会ったときは、そうではなかった。
7年ほど前かららしい。昨年12月、クリスマスイヴやクリスマス当日の食事に招かれた時、彼女とその娘は別メニューで食べていた。それがヴェジタリアンのメニューだったらしい。

乳製品にアレルギーがあり、それがもとでヴェジタリアンになった、という。

肉をきらってのヴェジタリアンなら、魚は食べるかな?と聞くと、魚は特に生きているときの原型を保った形でサーヴィスされるから、もっといやだ、という。

折角日本にきて、おいしい、新鮮な魚が食べられるというのに、勿体ない、と思うけれど、それは食べられる人の言うことだ。

東京に戻ってくるまで、金沢からスタートし、京都、奈良、鳥羽、箱根など観光地をまわってきたのだが、その間どうしていたのか聞くと、夫がすべて宿泊先のホテルなり旅館に頼んでいてくれたのだそうだ。

さて、東京で昼間動いているときはどうすればいいのか。1日目の昼は、鎌倉のホテルのレストランで、野菜だけのサラダ、野菜だけのパスタということで切り抜けた。
2日目の昼は、川越、お寺の近くの食堂なら、精進料理が食べられるのではないか?という。
お寺さんすべてが鳥獣禁止ではないのだから、と説明。結局、蕎麦屋にはいった。きっとそばのだしには鰹節を使っている可能性があるが、そこは無視することにした。

私には出しの材料を判断する能力がない。はたして、鰹節あるいはアゴなどのだしが使われていたかどうか。しかし、彼女はそのだしがおいしい、と最後まで飲み干していた。

最終日の東京、ホテルで銀座にあり、ホテルに近いところでのヴェジタリアン向けレストランを検索してもらう。
日本料理は野菜料理が多く、ヴェジタリアンに向いているけれど、やっぱり魚も食べないとなると、それはそれで制限される。

結局、インドカレーのお店に行った。インドは国が広く、いろんな宗教の混在する国だから、ヴェジタリアンのための料理も当然のように存在する。
さすがに彼女はインド料理のヴェジタリアンメニューにも詳しく、自分にあうものを選ぶ。

こうして彼女に同行して考えた。私自身、なんでも食べられる人間だから、割とどこの国に旅行しても困難はなかったけれど、日本という国は、なんでもありそうだけれど、特殊な要望にはなかなか応じてくれない。
モスレムのためのハラレ、あるいはユダヤ教徒のための料理、だいぶ増えてきたということだが、日本全国、どこに行っても食べられるというわけではないだろう。

彼女の場合、宗教的な制限ではないけれど、健康上の理由から食べられないものがある人も多く存在する。

もっと食事、食材についても、知識をふやし、受け入れ態勢を整えなければ、食事ができない人々でてしまう。国際化、なかなか道は遠い。
nice!(0)  コメント(0)