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18歳成人、2022年春から

改正民法が成立し、成人の年齢が2022年春から18歳に引き下げられるのだという。
146年ぶりのことだとか(1876年太政官布告で20歳と決められた)。(以上、6月14日朝日新聞より)

成人になってできること、18歳が成人年齢になっても、20歳までできないこと、いろいろ新聞で解説されているが、成人、つまりは大人になるだけの成熟度があるかどうか、なども問題視されている。

昔を思い出す。18歳といえば、ちょうど高校を卒業するかしないかの年齢で、興味といえば、まずは大学受験、そして経済的には親にたよりっきりだった。
親からの抑圧はいやだった。早く独立したかったけれど、経済的自立はできないし、高校を出ただけで就職して、自活できる給料を得られるかどうかはわからず、、まずは親の権威のもとに従属していた。

今の若者が、昔の私の時代より、成熟しているのか、あるいは幼稚なのか、私には判断ができない。でも、器が中身を決めるように、18歳成人とすれば、そのうち、そのようになっていくのではないだろうか。

フランスの例を思い出している。1974年、ポンピドゥー大統領急死に伴っての大統領選挙で、ジスカールデスタン氏が選ばれた。
彼は中道出身で、若かった。思い切った公約をいくつも掲げたけれど、その一つに成人年齢引き下げがあった。当時、フランスの成人年齢は21歳であったが、それを18歳にするというのだ。
公約は実行された。その時、フランスで混乱があったのかどうか、いまでは思い出さない。
しかし、フランスのリセアン(高校生)たちは、政治ストに参加することもあるほど、成熟した面を持っていたので、意識の面ではうまくいったのではなかったか、という気がする。

その他の国の例を今、思い出さないのだが、日本の20歳は遅いほうだったと思う。

ジスカールデスタン大統領は、サミットを始めた人でもある。突然、主要国の首脳を集めて会議をすると言い出した。その場所はパリ郊外のランブイエ城。ランブイエをどうスペルのか、結構、てんやわんやしたものだ。
この会議は、経済問題、つまりオイルショックの問題を解決するためだけで、政治問題は扱わないとなっていたような記憶がある。

この会議が成功したのか、これから主要国が持ち回りで開催することになったのだ。今では、お祭りみたいなものだが。


ジスカールデスタンは当時としては、最も若くして大統領になった人だが、今では、マクロン大統領が出現し、最も若い、という記録は消えた。今では、相当の年齢にも関わらず、元大統領の権利として、憲法評議会のメンバーとなり、老害の源みたいな扱いを受けている。

今16歳、17歳のひとたちが同時に成人となるわけだが、今からその心構えを教え込んでいかなければならないだろう。大人の心得というのはなんだろう。高齢者になっても自覚のない人もいる。


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「さよなら」(Japanese Goodbye)

今回の米朝トップ会談でも、朝鮮戦争を終結させるのか、というのが話題の一つになっていた。
朝鮮戦争について、今の若い人たちは、ほとんど知るまい。
若くはないけれど、私もあまり知らない。

ただ、北朝鮮(共産軍)と中国、これも共産党の軍が圧倒的に強く、あわや、アメリカ軍も半島から追い出されるほど、劣勢であったこと、それを国連軍の大御旗でどうにか今の休戦ラインまで追い込めたこと、などをぼんやりと知っている程度だ。

まだ第二次大戦敗戦で困窮の限りを尽くしていた日本が、軍需に沸いたこと、など、いくらかの記憶にある。

それより、その後のことだと思うが、アメリカ映画で、「さよなら」という映画を覚えている。日本はアメリカの出動基地となっていたが、出動前の兵士と、日本女性の間にロマンスも生まれたようだ。
この映画は、日本女性が芸者だったか、よく覚えていないのだが、その主題歌のロマンティックなメロディーで記憶にある。

恋に落ちたアメリカ兵士、将官と日本女性の恋、別れがたいが将官は出動しなければならない、そして激しい戦闘の中で戦死するのだったか、そこに、sayonara, Japanese goodbyeという歌が流れる。

主演の男優、女優はもちろん、昔タイプのハンサム、美人であったが、ナンシー梅木という日系の女優も出演していた。彼女の名前だけをはっきり覚えている。

こういったタイプのロマンスを扱った映画は、イスラエルの独立戦争を舞台にしたものもあったが、戦争の是非はともかくとして、切ないストーリーで、当時、本当に涙してみた記憶がある。

今回の米朝会談では、休戦から終戦へのロードマップまではできなかったようだが、このさよならの映画をだれも口にしないのは、そんなに歴史的に残る映画でもなかったのだろうか。
でも、もう一度みてみたい。

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CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)

私にとっては突然現れたことばだった。今回の米朝会談のテーマに北朝鮮、あるいは朝鮮半島の非核化があがっていることは、当然だと思っていたのだが、その形容詞として、完全、とか検証可能であること、不可逆的などがついていることも承知していた。

それをどう日本語として整理していくのだろう、と注目していたのだが、こういう英語の略語であらわされるとは予想していなかったのだ。
国際問題にうとくなったこともあるのだが、急にメディアの皆さんもシー・ヴイ・アイ・ディと口にするようになった。

Complete Verifiable and Irreversible Denuclearizationが正式な表現になるのだろう。

さあ、これが実現できるのだろうか。ベルリンの壁が壊され、またソ連が崩壊したというような、歴史的現象をみると、決して不可能ではないだろう。

しかし、北の体制を保障する限り、非核化などできないような気がする。
なぜなら、北の体制が続くのは、核保有国だからということを、キムさんは承知しているはずだ。
先に非核化を実現させれば、経済封鎖も解かれ、援助も得られるかもしれないが、体制維持の保証はなくなる。

それに非核化の実現、どうやって検証できるのか、などと問題点はつきない。

リビアの場合、核をもっている、ということになっていたが、まだ使用可能までいっていなかったとかいう。北朝鮮はしっかり実用化している。

なんで、体制の保証をするのだろう。彼らがのこっている限り、自由な国にはなれないのに。
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浅草今昔物語

生まれも育ちも東京人ではない私にとって、浅草は全然馴染みがない。銀座線だって、せいぜい日本橋まで、上野までいくことすらない。(上野だとJRを使ってしまう)

それでも、外国人を都内で案内するとすれば、浅草はマストの場所になる。
先日のフランスからの甥夫婦を案内することになった。
銀座のホテルからタクシーで、意外と近い。この距離感も私にはめずらしい。

この数年間、外国からの観光客の増加を取り上げるとき、必ずと言っていいほど、浅草は取り上げられていたけれど、こんなに多いとは!日本ではないみたいだ。
そして外国人の70%くらいは着物姿である。

これはいささか、奇妙な風景でもある。以前なら、服装で日本人か外国人かの区別がついたけれど、今や、着物姿=外国人という図式すらできそうだ。

甥の妻が歩くのに不自由なので、何小路というのか、お土産屋さんが立ち並んだ通りを避けて、1本はずれた通りを歩くと、着物レンタルの案内もある。2時間4500円くらいであったろうか。
きっと正絹ではないのだろうが、そんなに粗末な生地ではなさそうな着物を着ている。
サイズも、外国人のサイズも用意しているのか、つるつるてんの男性もいなさそうだ。

着付けもきちんとされているから、外国人だからといって、着物姿が似合わないこともない。

外国旅行をしたとき、その土地の民族衣装を着るのは、とても楽しかった。そのほとんどは家庭にお邪魔した折、家族の衣装を貸していただく、というやり方で、この浅草方式のような、有料のシステムではなかったけれど、いい思い出になったものだ。
着物はやっぱり独特だし、女性や子供のみならず、男性もとても楽しんでいるみたいだ。

甥夫婦にもすすめてみるが、彼らは時間もないし、別にその気持ちもない、という。甥の妻は、我々が初めて会った機会でもある、パリの父の養女の結婚式の際、母と私が着もので列席したのだが、その時の着物姿が印象的だった、と話す。

結局、5時ぎりぎりに浅草寺を参拝して浅草見物は終わったのだが、境内ではお相撲さんも見かけ、日本のムードはあったけれど、そのお相撲さんも外国人であった。

ここは日本か外国か、頭が混乱した。

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ワンコインコンサート

先日の夜、村のメインホール(会館の大ホール)でピアノコンサートがあった。お知らせは村の広報で1カ月前くらいにあり、夜7時から8時までの1時間、料金が500円、ピアニストは芸大卒で、世界のいろんなコンクールで上位の成績を収めている、という経歴の持ち主である。

それだけの条件をみると、これはすばらしい。まず、料金が考えられない金額だ。1時間というのがまた集中して聞ける。プログラムはその時点では不明であった。

否定的な条件は、会館大ホールであること。つまり音響効果が期待できない。それにピアノがまた演奏用のものではない。一般の人にも使わせるピアノで、使ったことはないけれど、プロの演奏会に使用できるとは考えられない。

でも、村にきて、初めてのピアノ独奏のコンサートだ。きっとプログラムもクラシックの曲だろう。音響効果については、なるべく前の席に座れば、直接の音が聞けるから、変に反響したり、割れたりしなくてすむだろう、と考えた。

このコンサート、隣県の都市と連携事業ということで企画されたもののようだった。
ピアニストは、現在はウィーン在住で、活動しているという女性。とても美人である。
プログラムはショパンが主で、あとバッハ、ツェルニー、シュトラウスが1曲ずつ入っている。

久しぶりの生演奏だった。ピアノはやっぱりちょっとひどかった。高音部がやけに響きすぎる。
隣の小学校のピアノを運んだのだそうだ。
ベーゼンドルファーでもスタインウェイでもない。ヤマハである。別にヤマハが悪いのではない。ただ大きさが、我が家のグランドよりもっと小さいような、物足りなさがあったけれど、聴衆が100人くらいであれば、それはそれでいいのかもしれない。

ピアニストの語りもはいって、とても充実した、雰囲気のいいコンサートだった。
私といえば、真ん前の丁度鍵盤を直線で見通すところに席を得て、こんないい場所で聞けるなんて、嘘みたい、と感激だ。舞台上にピアノがあるわけではない。同じフロア―なのだ。

アンコールで弾かれたショパンのノクターン2番、わが持ち曲だ。ずいぶん解釈が違うこと、と暗譜したくらい弾いている曲なので、自分との違いが歴然だ。もちろん、私の解釈が楽譜通りではなかったり、技量の差が歴然なのだが。

こんなコンサートが年に3,4回あれば、この村に定住した喜びが感じられるのだが。

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いまどきのホテル

せんだって、フランスのカップルが投宿したのは、銀座にある外資系の、今年オープンしたばかりのホテルであった。
このホテルについて、オープンしたというのは、きっと家庭画報あたりで見たとおもったけれど、実際にホテルの名前も、フランス人から連絡されても頭にはいらない。

銀座は銀座でわかるけれど、検索では住所しかでてこない。電話をかけて、地下鉄なら何線の何駅、どの出口とくわしい情報を得たいのだが、電話番号が記されていないのだ。

なんと不親切な、と思うが、銀座はかって知ったる、のカルチエでもあるし、どうにかなるさ、と、それでも彼らと会う前日に下見に出かけた。

このホテルは、銀座の大通りにはない。御幸通りに面しているのだが、いわゆる車寄せはない。ビルなのだが、ホテルだけのビルではなく、その存在も大きく誇示していない。

入り口をはいっても、地味なもので、フロントはない。エレベーターが正面にあるので、それにのって、ロビーのボタンを押す。

以前に新橋にあるコンラッドホテルで経験した。ロビー階を1階に設けず、途中の階にしてある。そこにフロントがあって、チェックインすると、ロビー階から利用できるエレベーターを使って客室へいく、というシステムだ。

その経験があったので戸惑いはなかったけれど、フロントもとてもオープンで、ホテルマン(女性もいるが)が真ん中にある大きなデスクでPCをいじっている。

このホテル、車寄せがないので、待ちタクシーというのもいない。運よく通りかかるタクシーをとめるか、ちょっと先に縦に通る通りの角で、通りかかるタクシーを待つ、しかない。
1階のホテルマンが手伝ってくれるけれど、丁度人が重なると、待たなければならない。

昔ながらのスタイルの帝国ホテル(一番利用するから)がなつかしい。広いロビー階は、宿泊客や宴会利用の客のみならず、場所柄、通路として利用する人、待ち合わせ、時間つぶし、トイレを利用する、いろんな用途で人が途切れない。

今や、ホテルはそんな多目的では使えないようになったようだ。きちんとホテルの目的にあった人だけが利用できるようになっている。
これまでは客がホテルを選んでいたけれど、今ではホテルも客を選ぶ。どうも私は選ばれないジャンルになったみたいで、なんとも居心地の悪い思いもした。
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ストローは昔ながらのストローで

6月5日は世界環境デーらしい。今回、大きく取り上げられたのは、体内に80キロのマイクロプラスティックをため込み、栄養がとれずに死んだクジラである。

海中にはものすごい量のマイクロプラスティックがあって、海洋動物が瀕死の状態にあるとか。
環境問題はこのマイクロプラスティックだけではないけれど、今回はこれが主テーマとなっているようだ。

2,3年前、フランスに行ったとき、その年に日本旅行をしたフランス人女性から、日本人は環境問題をどう考えているんだ、と迫られた。日本人の方がフランス人よりずっと環境問題には敏感だと思っていたので、なんでこんな言い方をされるのか、とちょっと心外であった。
しかし、彼女の話を聞いてみると、納得いった。つまり、日本ではいたるところで、今風にいえばレジ袋、ビニール袋をたくさん、ほしいというだけくれる、それはなぜなのだ、というのだ。

そうしてみると、フランスはスーパーのレジでも袋はもらえない。有料で、かつ紙製の袋の場合が多い。
買い物する人も常に買い物袋、それは昔風のごろごろ押すものだったり、バスケットだったり、今風のトートバックであったりする。

日本での習性で、何ももたずに買い物にいったり、出先からのついでに買い物に立ち寄ったりしたとき、有料のバッグを買うという準備の悪さ、それがほんの少額であっても、意識のなさを自覚させられた。

今回は、フランスからきた従弟の妻を案内していて感じたことである。アイスクリーム屋さんに立ち寄った。何を、どう食べるかである。彼女はコーンに盛ってください、と頼む。私はコーン分のカロリーを考えて、カップに入れてください、と頼んだ。
彼女が、コーンだと全部食べられる、という。私はプラスティックのカップだから、それを食べるためには、またプラスティックのスプーンを使う。どちらも捨てる。ごみとなる。

フランスではパリ協定のあたりから、環境に対する意識がとても強まった。たまたま、私が寄宿した家がそうなのかもしれないが、サランラップなどの使用もとても少ない。

アメリカではプラスティックのストローを禁止しているところがあるとか。スパゲティを使ったり、紙で作ったストローにしたり、代替品に苦心しているのだそうだ。
昔はストローという名のとおり、麦わらで作ってあった。唇にもやさしい感じだったことを思い出す。
しかし、アメリカから、派手な色どりのプラスティックのストローがはいってきて、徐々にそれにかわっていった。特に、アコーディオンプリーツがはいって、曲げられるものがでてきたときには、なんとしゃれたストローだろうと、感激したものだ。

ストローというとき、ある人から聞いたエピソードを思い出す。昭和の時代に、皇室の方が飛行機に乗られ、ジュースを出したのだが、ストローを添えたら、これは何に使うのですか?というご下問があったのだとか。

閑話休題、なぜ、ストローがやり玉に挙がっているのか、マイクロプラスティックは5ミリ以下の粒を言うのだそうだ。そういう点では、ストローなど、5ミリ以下になりやすいのだろう。
洗顔剤にはいっているマイクロビーズ(スクラブ剤)などは、禁止の方向にあるのだとか。

環境汚染については、常に考えておく必要がある。ついつい、スーパーでもコンビニでも、ドラッグストアでも、レジ袋にいれてもらって当然と思っていたけれど、常に薄手のトートバッグをしのばせておいて、それを役立てることにしなければ。
今朝はさっそく、雨降りであったけれど、新聞買いに、トートバッグを持参した。

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できる男の話法

先日来、日・仏両国の男性とじっくり話す機会を得た。そこで気づいたこと、それは、彼らが実によく人の話に耳を傾けるということだ。

二人とも、自営業というのか、自分で会社を経営している。そして人と会うことが仕事の半分以上を占めている、という点で共通していた。

日本人の男性は、数年ぶり、それも5年以上も時間を経過して会ったのだった。この間の話はたくさんたまっている。私は配偶者の死去ということがあった。さて、彼にはどんなことがあったのやら、お互いの近況というのか、この5年間の事件を話していく。

予想以上に彼には波乱万丈の事件が押し寄せてきていた。私に起きたのなら、パニックになって、人と会うのもいやになるだろうし、笑いながら話のタネにすることはできないだろう。
それを話しているのに感心したのではない。その合間に口をはさむ私のくだらない話をきちんと聞きながら、自分の事件の一切を話し切ったことに感心したのだ。

途中で、ちょきん、ちょきんと話しを切ってしまう私に、腹をたてることなく、私の話も聞き、話法にすっかり感心した。

そしてその翌日、フランス人の男性と会話したのだが、彼もまた、よく人の話を聞く人だった。
数人で会食しながらの会話であったが、一緒にいる人の話もはいるし、話題があちこちに飛んで行った。その中で、それぞれの話にも対応しながら、中心の話題にかならず戻るのだ。
そのやり方の自然さに驚いた。決して乱暴に話を中断させることはない。

自分の話法の幼稚さに気づかされた。女性にありがちなことだが、必ず話に自分の場合はどうだ、ということを話し始める。そして、話をあちこちに飛ばすことが、話題の豊富さを示すとか、頭がいい、と思いがちなのだ。

そうなんだ、じっくり人の話に耳を傾ける、これが会話の基本なのだ、と気づかされたのだった。
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ヴェジタリアンでいること

フランスからきた甥の妻はヴェジタリアンだった。亡き父の88歳の誕生日に会ったときは、そうではなかった。
7年ほど前かららしい。昨年12月、クリスマスイヴやクリスマス当日の食事に招かれた時、彼女とその娘は別メニューで食べていた。それがヴェジタリアンのメニューだったらしい。

乳製品にアレルギーがあり、それがもとでヴェジタリアンになった、という。

肉をきらってのヴェジタリアンなら、魚は食べるかな?と聞くと、魚は特に生きているときの原型を保った形でサーヴィスされるから、もっといやだ、という。

折角日本にきて、おいしい、新鮮な魚が食べられるというのに、勿体ない、と思うけれど、それは食べられる人の言うことだ。

東京に戻ってくるまで、金沢からスタートし、京都、奈良、鳥羽、箱根など観光地をまわってきたのだが、その間どうしていたのか聞くと、夫がすべて宿泊先のホテルなり旅館に頼んでいてくれたのだそうだ。

さて、東京で昼間動いているときはどうすればいいのか。1日目の昼は、鎌倉のホテルのレストランで、野菜だけのサラダ、野菜だけのパスタということで切り抜けた。
2日目の昼は、川越、お寺の近くの食堂なら、精進料理が食べられるのではないか?という。
お寺さんすべてが鳥獣禁止ではないのだから、と説明。結局、蕎麦屋にはいった。きっとそばのだしには鰹節を使っている可能性があるが、そこは無視することにした。

私には出しの材料を判断する能力がない。はたして、鰹節あるいはアゴなどのだしが使われていたかどうか。しかし、彼女はそのだしがおいしい、と最後まで飲み干していた。

最終日の東京、ホテルで銀座にあり、ホテルに近いところでのヴェジタリアン向けレストランを検索してもらう。
日本料理は野菜料理が多く、ヴェジタリアンに向いているけれど、やっぱり魚も食べないとなると、それはそれで制限される。

結局、インドカレーのお店に行った。インドは国が広く、いろんな宗教の混在する国だから、ヴェジタリアンのための料理も当然のように存在する。
さすがに彼女はインド料理のヴェジタリアンメニューにも詳しく、自分にあうものを選ぶ。

こうして彼女に同行して考えた。私自身、なんでも食べられる人間だから、割とどこの国に旅行しても困難はなかったけれど、日本という国は、なんでもありそうだけれど、特殊な要望にはなかなか応じてくれない。
モスレムのためのハラレ、あるいはユダヤ教徒のための料理、だいぶ増えてきたということだが、日本全国、どこに行っても食べられるというわけではないだろう。

彼女の場合、宗教的な制限ではないけれど、健康上の理由から食べられないものがある人も多く存在する。

もっと食事、食材についても、知識をふやし、受け入れ態勢を整えなければ、食事ができない人々でてしまう。国際化、なかなか道は遠い。
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金継ぎという技術

昨夜、ようやくミッションが終了した。今回のミッションは、フランスからの客の接遇である。なんて難しいことをいうと、よほどのVIPを相手したようだが、フランスの父の甥夫婦が仕事で来日、甥のほうは仕事で拘束されているが、その妻は昼間、フリーの時間がある、というので、その相手をしたのだ。

ところが、その彼女、注文が多かった。趣味の多い人で、そのなかでも陶芸に夢中なのだが、日本の金継ぎを学びたい、とフランスから来る前に注文をつけてきたのだ。

観光協会で取り寄せた資料にある、ツーリスト向けの金継ぎ教室のことを知らせると、もっと詳しい教室はないのか、と言ってくる。
そもそも、金継ぎの技術を知っているわけではないが、漆を使う、本当に繊細な技巧を要する仕事だということは理解している。

それを体験したいというのだから、ツーリスト向けの簡単なものでは満足できないのもわかるけれど、そう彼女の希望に添えるところがあるかどうか、まったく白紙である。

ところが、やっぱり救う神はいる。友人がその知人網を駆使して、見つけてくれた。個人レッスンをしてくださる先生を探し出したのだ。

通訳というほど、フランス語もできないし、技術用語もわからないまま、同席して、金継ぎがどんなものであるか、を見学した。

彼女によると、金継ぎは日本独特の技術だという。フランスなどでは、接着という形での修理はするけれど、その割れ目を強調して、割れたところを目立たせるなんていう考え方がすばらしい、というのだ。

個人レッスンは成功裡に終わった。彼女はフランスでもそれをやりたいと、金継ぎの材料を全部そろえたいという。
それなら東急ハンズ、というのがやっぱり王道らしい。

一応、一通りのものはそろった。先生が使っていたような道具を全部ほしい、というのは無理なことだった。職人というものは、道具を手作りする。したがって、全部をそろえることはできないのだ。

さあ、はたしてフランスでもできるのか。レッスン工程や、道具などをフランス語にして送ってね、と頼まれる。
まさか、そこまでミッションにいれるとは!!!

mission impossibleではないけれど、mission dificileではある。

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