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映画Pentagon Papersを見て

今、話題の映画を見てきた。アメリカ通の友人と誘い合わせてこの映画に行ったのだ。

この頃、映画はよく見る。といっても、山の中に住んでいるから、日本ではそう見ないのだが、フランスなどでは、時間つぶしもあって、映画館にはよく足を運ぶのだ。

映画はとても面白い。古い映画を見るのもいいが、新作はその時代を表現しているので、いろんなことを理解する。

今回の映画は、内容はずいぶん前の事件を扱っている。1960年代?まだ私が田舎で、そんな世界のことなど、気にかけることもなかった時代だ。

同行した友人は、東京人なので、同い年ではあるが、もっともっと時代に敏感な人だ。
映画をみたあと、いろんな解説をしてくれた。

とても参考になる解説だったけれど、二人して同時に口にしたのが、まるで今の日本みたい!ということだ。
政府、というより首脳個人、あるいはその周辺に不都合なペーパーは表に出さない、隠匿する、そしてそれが漏出したときの、汚いやり方、これはどの国でも起こりうることなのだろうが、まるで、今の日本のやっていること、そのものだった。

輪転機で新聞が印刷されるシーン、なんて懐かしい場面でしょう、と同い年だと、感想も似る。

本当はメディアと権力の対立構造、あるいは癒着といった問題なのだが、友人はそれに加えて、この時代がまだまだ女性が家庭にいるものという固定観念がこの映画にあることを指摘してくれた。

社主のグレアム女史、メリル・ストリープの演技のすばらしいこと、自身が最初からメディアの人間としての自覚はなくて、家族経営の結果、仕方なく社主を務めている、と何度も口にする。

最後の最高裁からの出口で、メディアや群衆はニューヨークタイムスに群がって喝采をあびせ、同時に出てきたポスト紙のメンバー、かつグレアム女史には注目しない。これがまさに時代だったのよ、と友人は締めくくる。

こんな名画が1100円で見られる。高齢者になってよかった、と思う瞬間でもある。
そして、田舎住まいが残念でもあることの一つだ。、

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