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Il faut que j'y aille

今日はパリの亡き父の最初の月命日になる。カトリックでも命日という言葉を使うかどうかは知らないが、今朝からもう一月たったのだ、と思っていた。

葬儀の前後、身内で集まった折などに、甥や姪が父の思い出を語っていた。父の口癖に、"Il faut que j'y aille"(もう行かなければ)という表現があったという。特に死に際のころ、会いに来て、話をしていると、この言葉がでたのだそうだ。

お見舞いにきているのは甥や姪たちだから、彼らが切り上げ時をさぐって言うのならわかるけれど、父が言うのだ。このフランス語の表現、よく言われるのだが、yをどう訳するのか、フランス語を学び始めたころ、本当に困ったものだ。

甥や姪たちもこのyを話題にした。彼の言うyはどこを言っていたのだろう。どこへ行くつもりだったのだろう、それはやっぱりあの世、というか神の御許、というのかな?と甥の一人が言う。
もうきっと寿命を知っていたのだ、いつこの世とさよならするのか、自分でも考えていたんじゃないか、と甥は言う。そうかもしれない、とほかのひとたちも肯定していた。

何年も前に葬儀のやりかたを指図した手紙を残していたり、形見分けをしていたり、自分の死に方を考えていたようだが、そんなにこの言葉を言っていたのか。私は聴いたことがなかった。

yというだけで、はっきり特定されてもいない場所、そこで愛する妻にも会えたのだろうか。

私のつれあいにも会っただろうか。それより、フランスの親戚、友人との再会で忙しくて、外国人にまで気がまわらないかもしれない。また宗教が違うと、住む場所もちがうかも、などと、思いながら、つれあいと父の写真に私もいつかはyに行くのだから、と語りかけた。
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