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友達100人できるかな

私が小学生のころにあった歌ではないが、「小学生になったら、友達100人できるかな」という歌は楽しい。

私の小学校時代、同学年は3クラスあった。ベビーブームのちょっと前だった。1年から6年までの間にクラス替えがあったかどうか、記憶にないが、1クラス50人はいたので、3クラスで150人以上いたわけで、彼らをすべて友達とすれば、100人はできていたわけだ。

今や、そんな学校、あまりないのだろう。田舎でも少子化というより、若い人口が減っているから、新小学生も1クラス、20人前後というところが多そうだ。そうなると、年上の2年生、3年生あたりまで友達にしても100人は無理だろう。

これで人生を通してというのなら100人は軽いと思うのだが、さて、友達、友人と呼べる人であるのかどうかが問題だ。

つれあいが亡くなって、つれあいの手帳に書かれている友人を数えても20人もいなかった。あとは年賀状にたよることになったが、知人の範疇にはいるかもしれないが、友人となると、ちょっと違うような気がする。

私の日ごろ使っている住所録、人数は数えたことがない。
私が死んだら、遠くに住んでいる弟が死後の処理をしてくれることになっている。もう何十年も生活は別、私の交友関係など、何も知らない。
そこで、現在の住所録とは別のものを作成した。親戚も、弟が知っている生家関係とつれあいの関係と別記する。知人、友人もちょっとした解説を付けた。

この名簿も2、3年ごとに見直しが必要だ。私よりずっと年長の方々は、先に亡くなられる可能性も高い。

ただただ死亡通知を送るだけ、葬儀に参列など、なにも求めないのだから、本当に厳選というのか、限定した人数にしている。

友人というか、知人というべきか、の一人は、過去に集めた名刺が1000枚を超えた、などと自慢げにいっていたけれど、私はそんな数字は関係ない。

小学校の同窓会的、春のランチ会なる案内があった。小学校は九州のある中都市、東京にいる連中だけの会食だ。もちろん150人も集まりはしない。1割の15人もいない。幹事は出席者の人数を言わなかったけれど、10人以下だろう。それでもまだ小学校の仲間との交遊が続いている。

延べ人数が大切なのか、今残っている友人が大切なのか、ピッカピカの一年生にちょっとアドヴァイスしてやりたいような気がするが、彼らが理解できるかどうか、疑問だ。

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