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Fukushima 50を見ました

昨日、友人から急な誘いで、長野県に出かけ、Fukushima 50を見ました。
テレビで宣伝もされているし、3月11日前後にNHKなででの特番で、フクシマ原発事故についてのドキュメンタリーも見ていた。

こんな鄙の土地に住んでいると、映画を映画館でみる、というのは東京に行く以外、私には考えられなかったのだが、土地の人たちは長野県へ出かけるなどで見ているようだ。
今は映画館もコンプレックスという形をとっていて、私が行った映画館も一つの建物に8つのシネマルームがある。

12時10分から始まる映画に、12時ぴったりに行くと、前回の上映は終わって、もうルームはあいている。だれもいなくて、我々二人だけ、席はより取り見取りだ。濃厚接触を避けるためにも、2席ほど離れて座る。
もしかしたら、我々二人だけの独占か?と思ったが、時間ぎりぎりにいくらかの人が入ってきた。

この映画、フクシマ原発の事故を扱った映画だ。実話に沿ったシナリオで作られたという。

苦しかった。画面が暗い。それは、地震、その後の津波、そして電源喪失、発電所でも電気が非常用だけしかない状態だから、それを復元した形での映画だ、照明がないのが当たり前だ。
非常時のなかで、これでもかこれでもか、と事故が頻発する。それを50名の現場事務所の人たちがいかに防ごうとするのかのドラマだ。

9年前をありありと思い出す。とはいいながら、当時は、公表される内容しかわからない、まさに現場にいる人が一番情報不足であったろう、と思う。当時の官房長だった枝野氏の記者会見で言う「危険はないとおもわれます」の空々しさ、虚しさ。

それは安倍首相の言ったunder controleの表現にも感じることだ。

福島県には行ったことがなく、震災後にも足を運ばなかった。
とてもいいところだったそうだ。

除染もすすみ、避難指定地区も一部を除いてずいぶん解除されているのだという。
9年もかかってだ。
しかし、この9年で本当に除染はできたのか。
放射能の値を減らしていくのに、万年の時間が必要だ。それを指で数えられる年数で除染できた、と言えるものなのか。

東日本大震災は、フクシマがなくても甚大な被害をもたらした。
しかし、そこにフクシマの災害がなければ、まだ回復可能だったのだと思う。
必至に復興に務めている人々に冷や水をかけてはいけない。そうは思う。

天の意志はどこにあるのだろう。
今度のコロナについても、これが人為なのか、天意なのか、わからないけれど、天意であれば、なにをお望みなのですか?と聞いてみたい。
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