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プラスティック問題の矛盾

極小プラスティックの問題が脚光を浴びて、その後、プラスティックそのものが問題視されるようになった。
日本でも来年4月から、スーパーやコンビニでのレジ袋の配布禁止、有料化が図られるという。

日本でもいくつかのスーパーではレジ袋がすでに有料化されてもいるが、フランスではとっくに有料化されていた。住人としてではなく、旅行客としてパリのスーパーで買い物をすると、レジ袋をくれない、要求すると、何サンチームだ、とレジ係が言う。
そうしてみると、ほかの買い物客はちゃんと買い物袋やゴロゴロ押す買い物車を用意している。

ほんの10円にも満たない金額でも、日本だったら無料なのに、ほしいだけもらえるのに、とへんなケチぶりを発揮したものだ。

こんなにプラスティックを多用するようになったのは、いつ頃からだろうか。以前、ごみの分別が厳しかったときは、生ごみは紙の袋にいれ(よく水分をきる必要があったけれど)、プラスティックとは別に捨てていた。
それが、いつしか燃えるゴミとして一緒に捨てられるようになったころから、紙からプラスティックへと、買い物袋が変わっていったのだ。

今の動きをみると、昔、紙が大量消費されていた時代の危惧を思い出す。紙は木材・パルプから製造されるため、このままいくと、地球上の森林が消えている、という危機感があおられ、割りばしもマイ箸を持参する、とか新聞は回収して再利用、なんせ紙類はすべて資源ごみとして分別されていた。

一応、社会派を自認する身として、現在のプラスティック問題も無視はしていない。スーパーの買い物にはマイバッグを持参するし、毎日のコンビニでの新聞購入についても、プラ袋は辞退する。
どうしても余儀なくいただいた袋は、必ず再利用はして、ごみとする。

しかし、現代では、なんと気楽にプラスティック製品を使うことか。一人暮らしを便利にするためには、欠かせないものに、ラップがある。残り物にカバーとして使い、また買い物をしたあとで、1回分ずつにわけてラップする。
アフリカにいたときは、そのラップを洗って、再利用、再再利用もしていたけれど、日本ではとてもそこまでいかない。
調理や下ごしらえにもプラスティック製品が便利である。

どこまで使用を少なくできるか、知恵は使おうとするけれど、考えるのが面倒、という年齢にもなってきた。

便利なもの、便利な生活にはやっぱり犠牲がある。
エネルギーについても同じだ。昔には考えられないほどの便利さを享受しているけれど、空気を汚染し、排出物で地球を傷めている。原子力発電など、その最たるものだろうし、火力、水力、風力、太陽熱、潮力、なにもかもがマイナスの部分を持っている。

この人生、残すものは少ないけれど、マイナスはなるべく少なく、と思いながらの日々、窮屈でもある。

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