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ノートルダム大寺院、私の思い

昨日は、朝のっけからニュースでノートルダム大寺院の火事のシーンをみせられた。
まるで映画インフェルノを見ているような気がした。
ビルではない、あれはパリのノートルダムに似ている、何かの映画をCGで撮影しているのだろうか?

最初は信じられなかった。しかし、BSでみる外国のニュース、あるいは日本のテレビにしても、ニュースのトップはノートルダム大寺院を、それも炎につつまれた寺院を映している。
石造りの寺院がなぜあんなに燃える?と不思議に思ったが、ニュースの中で、実は内部の構造は木材なのだ、という説明に炎の強さの意味がわかるように思った。

日本のテレビでは、パリの観光名所と言っている。そうじゃありません、観光客も行くでしょうが、あそこは教会の大元締めなんです、カトリック教徒にとっては、祈りの場所なんです、と一人で反抗する。

でも観光名所というのもわかる。だからこそ、私は足を向けなかったのだが、一昨年、パリに長く滞在したとき、考えをかえて、大寺院へ行ったのだ。
最初は、時間が悪かったのか、大行列ができており、教会へ入るのも時間がかかりそうだった。周囲のアジア系のひとたちの賑わいもいやで、その日はあきらめた。

翌日、朝少し早目にいくと、行列もなく、人も少なく、すんなりと入れた。
入ると同時に、特別の感覚に陥ったことを覚えている。

人生で最初に訪れたノートルダムは、まだ信者でもなかったし、好奇心のみの対象だった。それこそ行列をして狭い階段を上り、寺院の上の回廊を歩いたものだった。
当時、「ノートルダムのせむし男」という映画をみた後だったので、そうだ、こんなところが映画に出た、などと、まるで自分がヒロインにでもなった気分で、こわごわと歩いていった。

一昨年は、ノートルダムの隣に住んでいるという女性と知り合いになり、大寺院を訪れたら、うちにもいらっしゃい、と声がかかっていたので、訪問した。
本当にお隣に住んでいる。親の代から住んでいて、洗礼や結婚もこの教会だったわよ、という。

どんなにかこわかっただろう、火は、煙は、どこまで迫ったのか、心配になって電話をかけてみた。
男性が電話口にでてくる。私の名前を言っても通じない。もしかしたら、一時的に同居しているひきこもり気味の長男か?と問うと、家族じゃない、ポンピエだという。つまり消防署員なのだ。
家族は?と問うと、避難している。避難先は聴いていない、携帯にかけてみろ、という。自宅電話しか知らないのだ、というと、それじゃ自分もどうしようもない、とそっけない。

いろんな人からお見舞いのメールをいただいた。九州の従兄は電話をかけてきた。ショックだろう?という。ショックでない人はいないだろう。
彼は音楽をしているだけに、大寺院に集まったひとたちが、自発的に歌を歌い始めたことに感動している。

ご復活祭が近いこともあるし、ノートルダムだから、きっとマリア様をたたえる讃美歌だと思う、と言うと、歌ってくれないか?という。そこまではできない。

巴里の中心というのか、フランスの中心でもあるノートルダム、きちんとした形で修復となると、ずいぶん時間はかかるだろう。数十年かかるという説もあるそうだ。
修復後にいけるだけの体力がこちらにあるかはわからないが、見届けたい気持ちはある。

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