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建て替えは断捨離チャンス

身近なところで、2件の建て替え話が進行している。
1つは友人宅、別荘の友人だが、東京23区内にある自宅を建て替えする。
もう1件は、東京近郊にすむ長姉で、具体化しつつあるのだそうだ。

どちらの話も、何十年も済んだ家を壊してのことだから、モノを捨てるというのが、避けられない。
そして共通するのが、世代交代である。

友人のほうは、夫婦2人で住んでいたが、娘の家族との同居になること。2世帯住宅になるのだが、4人家族の娘に対し、2人だけの老夫婦は分が悪い。夫婦に割り当てられる面積は激減、したがって、断捨離は必須のことになる。

姉の場合は、すでに息子夫婦と同居していたのだが、築40年をこえる家は、建築当初と現在の家族の状況の乖離があまりにも出すぎて、建て替えの話となったらしい。

しかし、これまでは、亡くなった義兄が建てた家だから、そのあとを相続した姉にとっては、しっかり所有権というのか、居住の権利があるけれど、新築となると、どこまで姉のスペースを確保できるのか、その権利関係はどうなるのか、きちんと聞いてはいない。

それより、転勤家族ではあったけれど、昔ながらのものがあふれた家だった。これまでにどれほどのものを処分してきたのか知らないけれど、きっと崖から飛び降りるほどの覚悟が必要な断捨離になるのだろう。

建て替えの話をちらりと姉から聞いたとき、「当然でしょうね」と言った私に、「ずいぶんあっさり言うものね」と姉は不満げであった。姉にしてみれば、それは当然のことだろう。

割と合理的にものごとを考える姉ではあるが、モノに囲まれての生活だったものが、どんな新居に、どれだけのスペースを与えられるやら、断捨離にとりかかった今と、新居になってからと、みてみたいものだ。

さて、我が家は建て替えはしないけれど、断捨離は続けている。
15年以上前に亡くなった母の遺品整理をスタートさせた。
母が亡くなったとき、姉と弟、それに私の3人で分けたものだ。といっても金目のものではなく、私がもらったものは、母の書きものだ。俳句や日記、手紙の類を私がもらった。

今になって、俳句の作品やそのメモなどを整理して、遺句集として形にしてやればよかった、とも思うけれど、亡くなってするならともかく、15年も過ぎてしまうと、句集をもらってくれる人もいなくなっている。

つれあいの分はだいぶ整理がすんだけれど、なかなか完全にとはいかない。なにかといろんなところから出てくる彼の手跡、すぐに捨てるには心が重すぎる。

建て替え、あるいは転居といった大きな契機が、断捨離チャンスであることは自明だ。
私も、友人や姉にならって、思い切って、と毎日思っている。結果はでない。

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