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「ビルマの竪琴」についてわかったこと

ミャンマーから帰ってきて、「ビルマの竪琴」についていろいろ調べてみた。
わかってどうなるの、と言われればそれまで。ただ単に私の興味本位に調べたことである。

著者は竹山道雄氏、ドイツ文学者である。
私はドイツ文学にはうとく、彼は「ビルマの竪琴」の著者としてだけ知っていた。

この物語は、童話雑誌「赤とんぼ」に連載された児童文学である。
連載されたのは、氏によると昭和21年から23年まで(著者あとがきによる)、しかし、同じ本に寄せられた中村光夫氏の解説によると、昭和22年から23年にかけて、となっている。21年からというと、ちょっと早すぎるような気がする。というのも、この本のモデルとなったビルマからの復員兵は21年に戻ってきている。だから復員兵のだれから話をきいたにせよ、すぐに書き始める余裕はなかったはずだ。

単行本化は昭和23年(1948年)10月、中央公論社によってである。同年には毎日出版文化賞を受賞、昭和25年には、文部大臣賞を受賞している。児童文学として高い評価を得ていることがわかる。

文庫になったのは、昭和34年(1959年)、昭和63年(1988年)に75刷改版とあり、私が今回読んだ文庫本は、平成16年(2004年)の発行で98刷となっている。

なんというロングセラーなのだろう。少なくとも、いまでもなお読み継がれているといえるのだろう。

とはいえ、この本を読んだという人は少なかった。
それでも「ビルマの竪琴」は10人中8人、9人は知っている。それは40代以上の人にしか聞いていないのだが。
彼らのほとんどは、映画を見ました、という。それも中井貴一主演のヴァージョンだ。

映画の筋を聞いてみると、ビルマでの兵隊の話であり、水島上等兵の存在は知っている。なぜか、中井貴一が主演であっても、彼が水島上等兵ではなかったのだが。
主題となった歌を知っているか?と問うと、「埴生の宿」と答えられた人はいなかった。

私の世代は、その前の最初のヴァージョン、市川崑監督、水島上等兵は安井昌二、だったと思う、を見ていた。もちろん、中井貴一ヴァージョンもその後見ているのだが。

この映画が大きな影響を与えている。だからそもそもの連載を読んだという人は、年代的にご生存は無理であるし、単行本で読まれた方もいないし、単行本でも読んだ記憶がある、という人には合わなかった。

さて、竹山道雄氏は出征はしていない。彼がどうしてこの本を書くにいたったかは、また明日。

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