SSブログ

「死後の手続き」なぜ今話題に?

先だってから、やたら「死後の手続き」という文字をみかける。
今週でも、週刊誌のメインタイトルが「死後の手続き」となって、月曜には週刊現代が、「間違いだらけの死後の手続き、そこで間違えると、取り返しがつきません」、と書き、火曜日には週刊朝日が、「死後の手続きQ&A30問」、水曜日には週刊現代別冊完全保存版として、「まるごと老親もあなたも死後の手続き大特集」と広告がでている。


死後の手続き一切がいかに大変か、やるべき手続きの順番、期限のあるもの、急がねばならないもの、見出しだけでは、こんなに大変か、と死ぬのが許されないような気分になってしまう。

2年前、つれあいの死去に伴い、配偶者としてほとんどの手続きをした。
その記憶は、2年たったらずいぶんなくなってしまった。
というのも、それなりに指導してくれる人がでてくるからだ。

まず、病院で亡くなったとき、遺体を自宅へ運ぶにしても葬儀社の車が必要だ。葬儀社だけはいくつか電話番号を持っていた。その一つが夜中であったけれど、引き受けてくれて、自宅へ連れて帰れた。
翌日は祝日であったけれど、葬儀社の人が朝みえて、死亡届は休みの日でも提出できます。それがないと、火葬の手続きもできませんから、と医者の死亡診断書をもって、届けに行ってくれる。
火葬までの手続きをすべて代行してくれた。

その後の行政、諸手続きについては、役場にいくと、一覧表をくださる。各セクションの人が次々にきて、お悔やみを述べたあと、手続きの進行を指導してくれる。
すぐにしなければならないことはそこでだいたいできる。

そのあとが複雑な要件になるけれど、この頃は年金事務所も、古い戸籍をとることも、対応が親切なので、傷心でもやっていける。
もうそれがマニュアル化されているのかもしれないが、「大変でいらっしゃるときに、早速ご連絡おそれいります」となぐさめてくれる。

対外的なことより、身内が大変、と言われていたが、本当にそうだった。

死後の手続き、みな、それぞれに違った部分がでてくる。つれあいが亡くなったことで、パニック状態になったから、余裕がなくて、大変、大変と思ったけれど、終わってみれば、すべて、自宅から、電話ですんだ。もちろん、役所には出かけたけれど。

でも、こういう見出しをみると、やっぱり大変なんだろうと思う。そして次は、残る人が楽に処理できるように、死後の手続きの半分くらいは、生前(死前)に準備しなければ、と思うのである。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。