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ミャンマーの仏教のあり方

毎日、いくつもの寺院を見物している。見物と言っては罰が当たりそうだ。それかといって、仏教徒でもなく、好奇心と信仰心、どちらが強いと言われると、それは好奇心である。

小乗仏教と大乗仏教の違いなのか、仏像の形は随分違う。

大きなパゴダを外から見上げながら、舎利殿だから入れない、などと聞くと、スペースがもったいないな、と俗っぽい考え方をしたり、最貧国と言う割には、金箔きらきらのパゴダがやたらとある。

ガイドさんに無知ゆえの疑問を投げてみる。
1)ミャンマーの仏教に宗派はないのか?
答えは、ありませんということだ。僧侶はパゴダには住まない。宿舎というのか、修業をしたり、寝起きしたり、教育を授受するところは、別なのです、という。
金キラの飾りの僧衣もない。皆、同じ濃い葡萄色の木綿の衣をまとっている。食事も皆同じもの。
何という民主的な世界だろう。
2)人が死んだら、土葬ですか?火葬ですか?
ほとんどが火葬です。
3)お墓はどうなっていますか?
お墓はありません。火葬したら、そのままです。お骨は引き取りません。火葬の3日後くらいに、家族があつまって、偲ぶ会みたいなことをします。あと7日後とかにも。
お墓はないから、お墓まいりもないし、祈りたい時は、パゴダなどに行って、仏像の前で祈ります。

なんとシンプルなことだろう。輪廻を信じる人で、土葬にしたり、墓を作る人もいるにはいるが、ごく少数という。
これなら、日本のような墓問題は出てこない。

それに、バガンの遺跡でも、あれだけの数の仏塔は、仏籍を収めるものだってりで、お墓というのは一基もない。

貧しい中でも寄進をおそろかにしない信仰心、また、混乱の時代にも、黄金のパゴダは生き残っている。

裸足にならなければならないことも、むきだしの服装ではいけないことも、靴でズカズカ入り込む、という無礼をさせないし、慎みをもってお参りする、という気持ちを生む。

功利主義にどっぷり浸かっている日々を見直すいい機会になっている。
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