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ビルマの竪琴

ミャンマーへ行こうと思っている。
そのことを姉と弟に話した。弟は、ミャンマーってどこにあるんだっけ、であり、姉は「ビルマの竪琴」を思い出す、という反応だった。
弟は、1989年に国名がビルマからミャンマーと変わったことを知らないようだ。首都はラングーンだっけ、と昔の知識そのままに話す。

その感覚、わからないわけではない。私にしても、ビルマという国名はしっかり残っているのだが、ミャンマーと別の国と考えてしまうのだ。
こんな弟は、ミャンマーの首都は、ヤンゴンではなく、ネーピードーだ、と言っても、そりゃなんじゃ、と言いかねない。

中東ではあるが、外国での生活の長い姉は、さすがにミャンマーでも通じるのだが、すぐにビルマと置き換えるのは、年配者のゆえんでもある。

「ビルマの竪琴」の舞台に行くんだ、あの最後のシーン、思い出すね、「オーイ、ミズシマ」とインコだかオウムだかが叫んだり、あの楽器の名前はわからないけれど、小さな竪琴で、「ふるさと」を奏でるシーン、涙がでてとまらなかったよ、という。

そうなのだ。我々の世代は、この「ビルマの竪琴」が強く残っている。夏休みの指定図書にもなっていたような思いでがあるし、日本への帰還が決まった部隊への復帰より、そこで亡くなった戦友の菩提を弔うためにビルマ僧として残ったミズシマ上等兵、あの時以来、ふるさとの歌は、たとえウサギを追わなくても、故郷を思う歌になった。

あれは創作なのよ、ビルマの僧侶は、音楽など演奏しないで、静かに修行するのだそうよ、と姉に告げる。姉は、創作であろうとなかろうと、ビルマといえば竪琴、と答えるんだから、ともうしっかりインプットされたままだ。

世代の違う友人に「ビルマの竪琴」を知っている?と問うと、私は中井貴一で見たんです、という。そういえば、リメイクされたのだった。姉や私がみたのは、安井昌二が主演だった。

どちらがより感激するか、なんてことは各自の問題だが、古いほうが、より時代的に近かったこともある。

ビルマとミャンマー、名前が変わったように、国情も変わったのか、初めて行く私にはわからないが、仏教への信仰篤い国だということは変わらないという。

もちろん、軍部の圧政もあったし、民政化の進み具合、ロヒンギャ族の問題、いろんな問題をかかえていることはわかっている。

初めて訪れる国、もうミズシマ上等兵が生きていることはないけれど、どこかで「オーイ、ミズシマ」と叫んでみたい。


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