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善光寺へ行きました

昨日、1月15日は小正月、友人に誘われて長野の善光寺へと行きました。
私はクリスチャン、友人は無宗教っぽい、こんな二人が善光寺詣りというのもおかしいのですが、一度、行ってみたいという私の希望を実行したのです。

お天気もまあまあで、冬場の厳しい道路条件を考えると、お出かけ日和とも言えます。

善光寺ってどこにあるのか、知っていますか?と友人が聞いてきました。長野県ということは知っているけど、善光寺町なんていうのがあるんだっけ、と常識のない私。
長野市にあるんですよ、というので、そんな遠いところへ行くの?びっくりする私。

長野市は遠くありませんよ、と言われる。鳥居峠、菅平を経由して、須坂へと降り、それからすぐに長野市へとはいれるらしい。
善光寺は山の中にあるのかと思えば、長野市の中心地にある。駅から2キロほどのところにある。

参道が魅力的だ。古い町並みを残している。蔵造りの建物がたくさん残っているし、メインの道路があまり広くもなく狭くるしくもない。

坂道になっている参道を上ると、そこに善光寺の山門がある。
そこを入ると、すぐのところでどんと焼をしている。そうか、今日は15日なんだ、と二人、SNS用の写真をとる。焼いているものをみると、だるまさんだ。赤、白、黒と色も違うし、大きさもいろいろだ。こういう場合、お焚きあげというらしい。
だるまさんを焼くのは、高崎の少林山達磨寺だけかと思っていた、と友人も私も無知そのものだ。

善光寺でもだるまを売っている。そのへんの因果関係は知らないが、まあ、こういう大掛かりなたき火の熱い事。冷え切ったからだが、汗ばんでくる。
周囲には最初に積み上げきれなかっただるまが残っており、幼稚園児がそれぞれに投げ込んでいる。これだけの願いをかなえてくださったとすれば、やっぱり霊験あらたかと言えるのかも。

善光寺は、「牛にひかれて」という枕詞もあるが、天台宗のお寺で、一度お参りすれば極楽往生できるのだそうだ。
われわれのがお参りといえるかどうかは知らないが、私は極楽へは行かないだろうし、友人もうーんと行先についてはまだ決めていないみたいだ。

16日の朝の国際報道では、インドのヒンズー教のクンブメラという宗教行事について報道していた。ガンジス河で沐浴をすると、一生の罪が消え去る、という教徒にとっては、とても大事な宗教行事なのだという。

一生の罪、といってもこれまでの罪なの、これから先の罪も消え去るの、と理屈屋は面倒だ。
これで消えるものなら、罪は犯し放題じゃない、そんな勝手な、と懐疑的になる。
それを言うなら、カトリックだって、告解をすれば許されるんでしょう?と友人は言う。

宗教施設で目立つのは、無病息災をかなえるという神仏の存在だ。
この年齢で、無病はあり得ない、息災も現代では無理だ、となんとも懐疑的な冷めた、盛り上がらない女たちである。

でも雰囲気のいいお寺だった。宿坊もすてきな建物だ。
季節をかえてまたきましょうね、と友人と話が決まる。次はお蕎麦とぜんざいをたべましょう、とあくまで即物的な二人であった。

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