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俵万智著「牧水の恋」を読んで

久しぶりに短歌を読んでいる。たまたま図書館で借りてきたのだが、小説だと思っていた。ところが、牧水の恋歌が丁寧に解説されている。俵氏の解説、ご自分の歌もいれて、とてもわかりやすい。

私も若いころ、短歌の結社に属していたことがある。それも牧水の流れだった。だから、その結社の月例会には、この本にもよく引用されている牧水の研究家「大悟法利雄」氏にもお目にかかったことがある。

結局、牧水直流の結社から分裂した団体に所属したため、大悟法氏ともそれっきりになったけれど、牧水の話など、もっと聞いておけばよかった、とも思う。
しかし、私がイメージする牧水は、酒乱に近いような男性である(誤解なのだろうが)。

俵氏のこの本で、牧水が軽井沢に滞在し、浅間山を歌っていることも知った。牧水といえば、「水上紀行」の印象が強く、軽井沢の歌などを知らなかった。

「白鳥は哀しからずや海の青そらのあをにも染まずただよふ」が恋の歌とは知らなかった。この白鳥をハクチョウと読むのか、シラトリと読むのか、とか、海に漂っているのか、空を漂い、飛んでいるのか、単数か複数か、など、なんだか七面倒そうな分析ばかりを聞いていたけれど、最初の白鳥は哀しからずや、がメインであることを忘れていた。

この本で、いやというほど、牧水の恋の歌、それには失恋の歌ももちろん多いのだが、を読んで、まあ、一人の男性がよくぞ、こんなにぐだぐだ愛だ、恋だ、悲しい、哀しい、といえたものだ、と感心している。
そして、その気持ちがどうしてこんなにうまく表現できるものだと、感心しきっている。

私だって、恋もしたし、その98%は失恋で終わっている。結社に所属しているときは、その気持ちを歌にした。しかし、いつも、あんまり感情に流されないように、と先輩から注意をうけていた。

そして、同じ言葉の繰り返しはあまりよくない、と教えられたのに、この牧水、繰り返しの歌の多い事。
山死にき海また死にて音もなし若かりし日の恋のあめつち
摘みてはすて摘みてはすてし野のはなの我等があとにとほく続きぬ
恋し恋しあな君恋しさびしさにいまわれ消えむさらばわが君
海哀し山またかなし酔ひ痴れし恋のひとみにあめつちもなし

それならば、私のこの歌もいいのか。
人ひとり見えぬ海辺にきてひとりおもふべくなき人を恋ひをり
これも失恋のうた:枝先にいくつかの花ひらきたる若き桜の木を見るはさみし

もう一度、歌詠みをはじめてみたくなった。

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