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エルサレムは今も昔も混沌

先日、アメリカの大使館をテルアビブからエルサレムへ移転したことで、大騒動が起きたというニュースが続いた。

テレビの映像に出てくる場所のほとんどはしらない。もう40年ほど前に一度訪れただけの場所、そんなに記憶力もないし、観光スポットくらいしか思い出せない。

しかし、旧市街の人の多さ、その人たちの雰囲気の雑多さ、日本の整然とした、単一民族といえばまた語弊があるけれど、似通った人が集まった場所に生活していた身には、混沌としか表現のしようのない場所だった。

感覚もピリピリしていたことを思い出す。黒い服装のユダヤ教徒、やっぱり黒一色の東方教会の人たち、キリスト教徒は服装に特別なことはなかったけれど、パレスチナの人たちとは違っていた。

旧市街のなかは、人口密度が大変なもので、ゴルゴダの丘までの道の両側にはお土産屋さんもひしめいているし、ぶっつからないで歩けることはできなかった。

嘆きの壁のところで祈りをささげるユダヤ教徒の写真をとろうとして、激しく叱られたことも思い出す。女性からだったけれど、体をぶっつけるようにして怒られた。

それに比べて、壁の上にあるモスクに人のいなかったこと、作法にしたがって、足をあらって入ったけれど、人はいないし、来てはいけないところだったか、と思ったものだ。

旧市街、それもモスレムの勢力圏のなかにある、女子修道院に泊まり、朝はモスクからのお祈りの歌、そして早朝のミサの鐘の音、音すらも混沌だった。

危うい均衡のなかのエルサレム、過激な変化は好ましくない、けれど、あえてトランプ大統領はそれを行った。

2000年以上前の歴史を体感できる稀有な場所の一つ、もう一度訪問したいけれど、この混沌がこわくて、行くことができないでいる。毎年、巡礼の場所に考えているのだが。
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