SSブログ

考と妣(ちちとはは)

日曜日の新聞には朝日歌壇と俳壇が載っている。これをゆっくり読んでいくのは、日曜日の楽しみの一つだ。

左右に短歌と俳句が選者によって並んでいるのだが、真ん中に歌と俳句の選者が交代で短評を寄せている。それも現在の傾向を知る上で、とても参考になる。

今日は考と妣、という言葉があった。ちちとははと読むらしい。初耳というのか初見のことばだった。
広辞苑には載っているという。確認すると、考のところに、すでに亡くなった父(の称)とあり、矢印がついて、妣の字が載っている。この漢字をみると、すでに亡くなった母の称となっているわけだ。

亡父、あるいは亡くなった父、母も同様だけれど、というかわりにこの考と妣を使うのが昨今の流行になっているというのだ。今日の選句の中にはなかったけれど、そう指摘されるから、きっとそんな句が目立ってきたのだろう。

今井 聖というこの評を書いた方は、「むしろこういう読ませ方をさせる「蘊蓄」が俳句独特の抹香臭さを敢えて演出しているようで違和感が残る」と使う人たちに対して、否定的のようだ。

しかし、書きたくなる人の気持ちもわかるような気がする。今や、携帯用語のような言葉ができているし、それらはある程度の年齢から上ではちんぷんかんぷんだ。
それに、ことばの使い方も変わってきた。ペットに敬語を使う時代である。ペットが死ぬと、亡くなった、とか、天国へ召されました、などと言われてえっと思うことがしばしばだ。エサもやる、ではなくあげる、となっている。

そんな時代に、少し、古い表現をつかって、意味付けしたい、という気持ちにもなるだろう。

それにしても、このちちとはは、は初めて見た。まだまだ漢字検定を受けられそうにない。
亡夫については、なにかあるのだろうか。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。