SSブログ

スズランへの思い

毎日、庭をいじっていると、昨日と違うことを発見する。春のよろこびだ。芽がでて、日々成長し、緑が濃くなり、花芽がついて、といった変化をみていくのは、自分で庭を管理しているからこその楽しみだ。

昨日は、庭の一部にスズランの芽がでているのをみつけた。南と北のいくつかの箇所にスズランがでるのだが、その場所は昨年はでていなかった。
まだほんの1センチ弱、細い剣先のような部分が出ている。これをスズランと知っていなければ、雑草と思うか、靴で踏みつけてしまうかもしれない。

九州に生まれて、スズランやシラカバというものをみることができる北海道というのは憧れの地であった。白を基調とするこれらの植物、なにか清々しい雰囲気がある。
北海道でなくても、群馬県の山の中にもある、というのはこの地を選んだ理由の一つである。

フランスで生活していたとき、スズランの日があった。5月1日である。この日はフランス国内、いたるところで、スズランが売られている。この日に限り、花屋さんでなくても売ることができるのだとか。若い人たちが小遣いかせぎに、道路で売っていることもある。

鉢植えや、数本のスズランを小さな花束にしたもの、1輪のスズランもありうる、が売られている。
レストランや何かのお店で、お勘定をすませて出る時、1輪のスズランを渡されると、けっこうお高かったわと思っていても、そのスズランで相殺される。

我が庭のスズランはだいたい6月に花がつく。今年は早いけれど、5月1日にはまだ花はみられないだろう。
スズランが群生しているところでは、夕方など、ほのかに香る。花の姿も可憐だが、香りも清純でこれがスズランが好まれる理由なのだろう。

スズランは異性間だけではなく、愛する人、だれにでも贈ることができる。
もちろん、スズランが咲けば、亡きつれあいの写真にそなえよう。しかし、要注意の花でもある。

こんなに清らかな花なのに、毒があるのだそうだ。だから、ワイングラスやコップなど、普段に使うものを花瓶かわりに使ってはならないのだそうだ。
どの程度の毒なのかは知らないが、毒は毒。そういえば、水仙も清らかな花だが、これも毒があるのだそうだ。冬場、球根を食べあさるイノシシも、水仙の球根には鼻をつっこまない。

毒があるといっても、それで評価を下げてはいけない。春先に咲くこれらの植物に毒があるというのは、それなりの理由があってのことなのだろう。何から自分を守るための毒なのか。

一説には、スズランは磔刑にされたキリストの足元で流したマリアの涙から生まれたもの、とか。
中世には愛を伝える花となり、現代のフランスでは、メーデー、すなわち労働者の祭典と同じ日であるところから、労働者の花ともいわれるとか。

スズランの芽がでたところには囲いをして、不注意に踏んでしまわないようにしなければ。
nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。