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コットーノモノの行方

ヌイイの父が亡くなって、そのあとのことがきにかかっている。ヌイイのアパートは、娘と息子がもう売却と決めている。二人ともパリに住んでいないし、こんな大きい、経費のかかるアパートをもちこたえられるわけはない。売却、やむを得ずだ。

その中にあるものがどうなるのか、きにかかっている。家の中には、父と母が集めた、父のことばではコットーノモノ、がたくさんある。

私への遺品として、版画2枚を贈られたし、それ以上のものを望んではいけないことはわかっている。娘の話では、いろんなものに、贈る人の名前が書いてあったという。

もうすべて渡されたあとなのかどうか、わからないが、火葬が終わって、ヌイイの家に戻り、本当に親しいひとたちで、日本でいるお斎に似た時間をもった。

その時、私はつい娘に頼んだ。つまり、昨年末にダウンを送ったとき、亡くなったつれあいのマフラーも添えた。紺色のダウンにぴったりの紺とグレーが表裏になったカシミアのマフラーだ。何もいわなければ、どう処分されるかわからない。だれかが使ってくれるならいいけれど、そのだれかがわからないのもいやだ。

もう何点か、母もこの家にきていたころ、やたらとおみやげに持参したものがある。母の好みで、けっこう骨董的なものが多かった。その中でも、食堂に飾ってある漆の大きな盆、これは3枚組のものだったが、一枚を我が家、2枚目を父の家、そして3枚目は代母の妹の家、と分割したのだ。
いつも食堂に飾ってあるのはうれしかった。しかし、これも評価してもらっていってくれる人がいるなら、だけど、どうなるものやら、と気になる。

マフラーと漆の皿、これは娘もすんなりと理解してくれて、引き取ることができた。

もうそれ以上のことは言えない。そこまで、と自分でストップをかけた。娘は、なんでもほしいものがあったら言って、というけれど、そういうわけにはいかない。

帰国して、やっぱりもらってくるべきだったかな?と思うものもある。コットーノモノは価値もわからない私がもらっても、猫に小判だが、私の好きなものがあったのだ。
それは玄関ホールの棚に飾ってある鉱石コレクションだ。父も母も石が好きだったらしく、いろんな鉱石が飾ってあった。私も好きなので、だれも貰い手がいないときは、私にくださいと、父に頼んでいて、OKはもらっていたのだが、それを父の亡き今、言ったとして知っている人はいない。

鉱石はそう価値もないし、だれも異を唱えないだろうが、あの人はなにもかも欲しがったといわれるのも困る。
それに鉱石のコレクション、持ち帰るには重すぎる。

いろんなことを考えて、言い出さなかったのだけれども、ああ、あの石たち、どうなったのかな?と思いは残っている。
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