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納骨(納灰)式に参列して

葬儀の翌日が納骨だ。フランスの場合は骨ではなく、灰になるのだから、納灰式というのかもしれない。特別なことばは今のところないのか、enterrementが使われているようだけれど。

昨日の火葬の場も、日本とは違っていた。父のために集まった人、30人くらいだっただろうか。ごく近しい人たちばかりだ。親族ではない人というのは、メインのお手伝いさんkらいだったろうか。

棺が安置された部屋に集まり、画面に写されるヴィデオを見る。これは孫たちが写真を集めてつかったものらしい。

父の若いころからの写真もある。まるで違う人のような、若いころはけっこうハンサムだったのだな、と思う。
母との幸せな生活、そして40歳になって、ようやく養子縁組ができるようになり、娘と息子を養子として迎えたあとの家庭。

ブルターニュの別荘でのリラックスした日々、1枚は父がお馬さんになって、母が父の背にまたがっていて、全員が笑ってしまった。

私が映っている写真もあった。父とワイングラスを傾けている。いつ、どこでとられたものかは知らないが、二人とも楽し気にしている。

ヴィデオをみたあと、待合室に戻る。小部屋へ案内される。そこで、棺が炉にいれられるところをカメラを通してみられるというのだ。

それをみたいという希望者は少ない。息子は見ないという。娘、孫、私、あと数人だ。

日本人の私は1年前には喪主として、つれあいの棺が火葬になる(荼毘に付されるというべきか)ところに立ち会ったし、悲しさがあふれけれど、それをみることを拒否はしない。
しかし、従妹などはとんでもない、いやだという。従妹のつれあいはこの火葬の施設に来ることすらいやがった。

日本と違うのは、骨ではなく灰にするためには、より高温で、より時間がかかることだ。骨あげといったことはそれこそしないようで、もうそれぞれお引き取りをといわれる。灰になったところで、おしらせがあるらしい。自宅で待てというのだ。どうも次の家族が集まるようで、場所がないらしい。

そんな経緯を経て、今日は葬儀屋さんの車に、棺にくらべればとても小さい骨壺ならぬ灰壺が鎮座していた。

その車がゆっくりお墓へと移動する。われわれはそのあとを行進する。
お墓の場所は、2年前、母の埋葬で知っている。母のときと同じように、平べったいお墓のふたがはずされている。
墓の中をのぞいてみると、もう母の棺は形がみえない。コンクリートの板でおおわれている。
その上に灰壺が置かれた。灰壺は鈍い光を放つ石でできている。つれあいの骨壺より小ぶりだ。


娘が聖書の1節、そして甥の一人が思いでのスピーチをし、「主の祈り」を全員で唱える。
白いバラの花を1輪ずつ、順番に投げ入れる。本当にみんな無造作に投げ入れるものだ。

それが終わると、業者のひとがクレーンで蓋をかぶせる。そんな光景をみながら、列席者が立ったまま、なんとなく会話をかわしている。

まだ父の名前は墓石に刻まれてはいない。勲章受章のことなども書き加えられるのだろう。

別にそれでどうしたということもなく、散会することになった。私は空港へいくことになっているし、従妹たちはこのあと私をパリ市内のタクシーステーションまで送ったあと、別のランデヴーがある。

ほかのひとたちも同様だ。墓地の入り口でさようならのハグをする。もう会わない、会えないひとたちなのかもしれない。
1周忌だ、3周忌だという儀式もない。もしあるとしても、そこまでくるかどうかはわからない。

La page est tourneeだ。新しいページになるのだから、感傷にふけっているわけにはいかないのかも。フライトの時間もあるので、そうそうにお別れの挨拶をして従妹の車に乗り込んだ。
あまりに儀式ばる日本のやりかたも好きではないが、こうも簡単、簡素もしっくりこない。

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