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軽井沢のネームヴァリュー

西村京太郎氏著の「北軽井沢に消えた女」という本を読んだ。サブタイトルに「嬬恋とキャベツと死体」とあり、我が村が舞台になっているらしい。

本の内部については、いろいろ言いたいことがある。たとえば、キャベツ畑の真ん中に死体が埋められていた、なんていう事件の発端には、わざわざキャベツ畑に埋めなくても、そこらへんにたくさんある雑木林に捨てればいいのに、と殺人者に忠告したくなるし、万座温泉が村の中心から離れた山の中という距離感がないこともあげたいのだ。

そんなことは、作者にいわせれば、フィクションなんだから、どうでもいいことかもしれない。しかし、この本で、北軽井沢、あるいは軽井沢という地名を安易に使用することに警告を与えている。

「軽井沢」という地名は、全国、どこへ行っても知られている。だから、時には現住所を言うとき、「軽井沢」の隣です、というと通りがいい。しかし、なるべく使いたくないと思っている。しかし、商業ベースでは、軽井沢という地名は価値があるようだ。

家を建てたころ、「奥軽井沢」と書かれた看板を近くでみつけた。それは現在では消えている。が、北軽井沢がそれにかわっている。北軽井沢というのは、戦前から長野原町の一部につけられた地名ということだ。だから、昨日今日の地名ではないのだが、わが村までそれにあやかろうというのはあさましいのではないだろうか。

つれあいの友人が軽井沢に別荘を買った、というので、訪ねることにした。場所をきくと、それは我が村にある別荘地である。しかし、その別荘地に住む人は軽井沢に住んでいると信じているらしい。

軽井沢も「かるいざわ」と発音する人と、「かるいさわ」と呼ぶ人がいる。たしかかどうか、わからないのだが、土地の人間や、戦前から軽井沢に別荘を持っているひとたちは「かるいさわ」と濁らずに言うとか。

軽井沢より我が村の方が、湿気は少ないし、騒々しくない、と自負しているのだが、これは負け犬の遠吠えに近いものがある。買い物の便利さや、アウトレット、すてきなレストラン、旧軽や追分などの由緒ある別荘、新幹線が止まるなど、軽井沢は本当にそのネームヴァリューに負けないところだ。我が村が背伸びしてもかなうものではない。でも身の程にあった土地として、とても満足している。

でも西村先生、もうちょっと正確に書いてほしかったです。
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