SSブログ

大型連休中のお葬式

5月2日の昼すぎ、外出先でハンドバッグの中の携帯電話が振動した。発信専門で、殆ど受信しない電話、誰からかしらとうけると、つれあいの甥からである。
予感はあった。義兄は昨年末から入院中であったし、1月にお見舞いに伺ったとき、ひどく弱っていたのを目にしていたから。

2日12時すぎに亡くなられた。甥は3日に通夜、4日に告別式などをおこなうという。そんなにすぐに葬儀が運べることは、この頃とんとないので、本当に可能なのだろうか、と半信半疑である。詳しくは自宅へ連絡するという甥のことばに、帰宅して待つことにする。

3-4日は泊まりがけでの来客がある予定だったが、葬儀に出るとなれば、キャンセルする必要がある。そちらにはすぐ連絡がとれ、いづれ別の日に、ということにする。食事をする予定だったレストランなどもキャンセル。

つれあいの実家は埼玉県、通夜と4日早くに荼毘にふすということになれば、3日は現地に泊まることになる。と、ホテル探しにかかる。ところが、大型連休の真っただ中、どこもかしこも満員らしい。実際にホテルに直接電話で確認したわけではないが、るるぶとか、楽天といったインターネットでみても、宿泊先はみつからない。

通夜のあと、3時間かけて帰宅し、もう一度早朝に出かけるか、といった案もでたが、連休中の道路事情はわからない。つれあいだけ参列することにするか、4日を告別式だけにするか、などの案もでるが、つれあいも私も、できれば全部に参列したい気持ちが勝った。

久しぶりの葬儀である。こんなに密接に参列したのは自分の両親以外では初めてだ。両親の葬儀は、もう昔むかしのことになってしまった。

つれあい自身も、葬儀についてのしきたりは知らないようだ。父親の時には、東京にすんでいたので、臨終には間に合わなかったが、葬儀には最初から出たらしいのだが、覚えていないという。母親のときには、外国にいたので、急ぎ帰国したけれど、葬儀がぜんぶ終わっての宴会に間に合ったのだそうだ。

私にとって、埼玉県北部の葬儀というのは初めての経験だ。まず、納棺の儀式がある。映画の「納棺師」でもみたけれど、浴衣姿で横になっているご遺体に、あの世への旅立ちの姿へと着替えさせる。
湯灌のかわりに消毒済みのコットンで、手先や足先を身内が交互に清める。そして白の経帷子に着替えさせる。旅だからと手甲脚絆をつけるが、どれもこれも裏返しか前後を反対にする。もっと長生きしてほしかったのに、それに反して旅立つからだそうだ。

三途の川の渡河料として6文銭が縫い付けられている袋、それに旅の間、不自由しないようにと「隠しがね」を用意するのだそうだ。身内全員が財布のなかから1円玉を拠出する。それを6文銭の袋とは別の袋にいれ、わからないようにお棺のなかにいれる。なにしろ「隠しがね」なのだ。

幽霊などによくみられる3角の布を頭にするのは、冠のかわりなのだそうだ。そのほか、初めての経験だったが、荒縄を身内の皆が腰に巻く。これはどういう意味なのか、聴きそびれた。そういえば、韓ドラ(歴史もの)で、死者がでると、荒縄を頭や腰に巻くシーンがよくみられたが、何か関係があるのだろうか。
そのほかにも、つれあいにも私にも初めてというようなことがたくさんあった。

納棺の儀式は1時間ほどかかって終了した。そのあと、お棺は式場に安置された。

通夜も葬儀の時もそうだが、親族の男性と女性が、左右に分かれて着席する。私の地方では、祭壇にむかって右側に喪主とその家族、そして死者に近い親族が男女を問わずすわっていた。

今朝、葬儀場から火葬場への移動では、霊柩車は真っ白の超ロングのメルセデス・ベンツである。初めて見た。伝統的な屋根がついた霊柩車や、ちょっと無骨だけれど、四角い印象の霊柩車を意識していたけれど、この頃は違うのだろうか。

亡くなった義兄の生涯を詳しく知っているわけではないが、9人兄弟姉妹の長男として生まれ、20歳のときには徴兵されている。長男として家業の農業を継ぎ、そのほか、保護司や民生委員として活動していたこともある。家族のため、地域のため、常に人のために働いてきていた人だった。

9人の兄弟姉妹がこれまで全員生存していることがつれあいの自慢であったが、初めて、最年長の義兄が没した。相当気落ちしている。実家の跡取りとして義兄がいてくれたから、実家との結びつきも強かった。
寂しそうなつれあいと、渋滞とは反対方向の家に帰るとき、順番がだんだん近づいていることを、ひしひしと感じる我々であった。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0